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BGM  My Dearest/supercell
 

 



「いよっ、おっはよっ。」
「あ、おはっ…きゃん!!!」
朝のマイキャッスル。今日はカムイが畑の収穫の当番で大根を引っ張っていた所にヒナタに声を掛けられ後ろにひっくり返る。

「おおい、大丈夫かー?」
「カムイ様、お怪我は?」
柵のところから覗いてヒナタがカムイの手を引っ張り起こして座らせていると慌ててスズカゼも走り寄りカムイに声を掛ける。その背中には赤子を背負っている。

「よぉ、スズカゼ、おはよっ。」
「おはようございます、ヒナタさん。」
「大っきくなったな。えっと、名前は…」
「ミドリコです。」
「へえ、ミドリコってんのかー。よー、ミドリコ、ヒナタだよーん。」
そう言って背中のミドリコに声を掛けてホッペを指でムニムニするとミドリコは声を出してにぱぁと笑う。

「かっわいいなぁ~。かぁちゃんはどーしたー?」
「ベルカさんは任務なんです。」
ベルカやスズカゼは諜報活動などに出かける事があり時々軍を留守にする。基本的には安全の為に軍で生まれた王族や中心を担うメンバーの子供は秘境で育つが時々はこうしてキャッスルに連れてきて皆で協力して育てている。これもカムイの意向。子供達に寂しい思いを出来るだけさせない様にという気配りからの事だ。

「仕方無ぇとはいえ、母ちゃんがいねぇのは寂しいなぁミドリコ。」
「代わりに皆さんがいて下さいますから、大丈夫ですよね、ミドリコ?」
そういうとミドリコはスズカゼの顔を見てキャイキャイと笑う。

「では収穫したものを持って行ってきます。カムイ様はお召し物が汚れましたのでお着替えをなさって下さい。」
「あ、はい、すいません。」
一礼してスズカゼは車を引いて倉庫へ向かう。 カムイは立ち上がり大根を持ったまま自分の形を見る。服も手も泥だらけだ。何時まで経っても色々と効率が上がらず上達しない事に落ち込んでため息をつくと、ヒナタが柵を飛び越えカムイの横に立ち大根の葉の根のところを掴む。

「いーか、野菜っつーのは素直に抜いてやりゃいーんだ。ほれ、見てみ?」
「?」
「ここを持ってちょっと左右に振ったら、どっちに向いて伸びてるか解るだろ?ほれ、これだとあっち、こーいう向きだな。」
「ふんふん。」
「そしたらその向きに逆らわない様に最初はちょっと、グラって揺れたら一気に!」
綺麗に抜けた大根にカムイは目を輝かせて喜ぶ。

「凄い、凄いー!簡単に抜けた!」
「な?ほれ、カムイの抜いたのと俺が抜いたの、髭が違ぇだろ?俺のは髭が付いてっけど、オメェのは切れちまってる。髭は切っちまうけど折角ここまで大きくなったんだからちゃんと抜いてやらなきゃな。わーったか?」
「はいっ!」
ヒナタは最近色んな事をカムイに教えていた。生活や食事、マナーに至るまで何かあれば必ず2人で勉強会を行っている。暗夜の事はあちらのきょうだい達に力を借りているが、白夜の事でヒナタに分かる事は全て1からカムイに教えていた。

「ヒナタさんに教えて頂くようになって色んな事が楽しくなってきました。」
「そーか、そりゃ何よりだな。ほい。後ろ向いてみ。あーあー泥だらけだぜ。着替えて飯行って稽古しようぜ。白夜式の剣術覚えたいんだろ?」
カムイを軽々と持ち上げて後ろを向かせ髪や服の泥を叩いてやると目を輝かせてヒナタに振り向く。

「教えてくださるんですか!?」
「教えてくれるの?だろー?俺にゃあそんな言葉使いいらねぇって。他ならぬカムイの頼みなら断れねぇだろ?」
カムイの頭をくしゃくしゃと撫でてウィンクしながらニカッと笑うこの顔がとても心を楽にしてくれる感覚があった。あの夜からヒナタとは以前に増して距離が近くなったが、あそこ迄の圧しをしてくる事は無くなった。ヒナタは何も言わないが距離を見てくれている事は理解できたので正直翌日からどうやって接すればいいのか分からなかったカムイはこの優しさがとても嬉しかった。

「そういや今タクミ様に弓を教えてもらってるみたいだな。」
「はい。やっと教えて頂ける様になりまし…なった。ヒナタさんが根回し?してくれたおかげです…だねっ。」
「そーそー、それでいいんだよ。俺には気を遣わんでも。そーなんだよ、根回し。大変だったんだぜ?感謝しろ~。」
ヒナタは相変わらずタクミとカムイの応援をしてくれていた。そういうとカムイの首に腕を回し抱き寄せる様にしてふざける。

「…ぶっちゃけ、俺としては複雑なんだけどよ…」
「…うん…」
「俺の主が不甲斐ないのも嫌だし、お前が悲しむのも嫌だしなぁ…困ったもんだ。」
「困ったもんだ…」
「お、カムイも困ってくれてんのか!? うお、かわいい奴~!!!」
「きゃあ、ちょっと!!! 下ろしっ…」
カムイの言葉に喜んで腰を持って抱き上げて走っていく。勢いよく走るヒナタの頭にカムイは抱き着く様にしてぎゃあぎゃあ言う。

「ちょっと、もうっ、ヒナタ、さんっ、こわっ!!」
「おめぇの事は地割れが起こっても落としゃしねぇ~♪」
笑いながらカムイの居室まで走り居室の木の下にある水場で足などを洗うため下ろしてもらい、少し大きい桶に水を張り手や顔を洗って椅子に座り足を洗おうとした時にふと自分の上に影が差す。見上げるとヒナタの顔が近くにあり「あ…」と口を開いたところで口づけられる。数度啄むだけの軽い口づけをして顔を離しニカリと笑う。

「すっきあり~♡」
完全に油断していたカムイはポカンと口を開けたまま茫然としていたが一気に顔が赤くなる。

「~~~~っ…ぶっ、ぶわっかーーーーっ!!!」
「おおっ!! うわっ、ははははは!!! つめてっ!!!」
桶を持ち上げてヒナタに向かって投げつけるがヒナタは残念ながらひょいと躱す。水は足元に少ししかかからなかったのを見てカムイは頬を膨らませ悔しくなって洗った大根を2本持ってヒナタの2刀流剣術の構えをする。

「おっ。」
「キス分、殴らせてっ。」
「何でだよー。俺すっげー幸せなのにー。」
「あっ、朝からっ、何、考えて…」
「夜ならいいんか?んじゃ夜に来るわ。」
「…もっ…!!!!」
「カムイ様、食べ物を粗末にしてはいけません。」
階段からカムイが帰って来た気配でジョーカーがタオルなどを持って着替えに降りて来て怒られてしまった。

「よう、ジョーカー。おはよ。」
「ヒナタか…朝から元気だな…カムイ様タオルです、どうぞ。」
「ありがとうございます。あの、ちょっと着替えてきます。」
「おー。」
「後ヒナタさんと一緒に剣の稽古をする事になったので動きやすい服を…」
「畏まりました。」
急いで階段を上がっていくカムイを見て手を振り、ドアの音がバタンとしたのを聞いて椅子に座り伸びをしながら朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

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「白夜刀って重たいんですね。」
「んー? あー、そうかもなぁ。その代り切れ味と強さは天下一品!!」
白夜式の剣術をヒナタに教えてもらっていたカムイは改めて白夜刀を持ち直して気付く。

「カザハナさん、それ考えたら凄いなぁ。」
「あいつのは俺らのよりも少し刃が薄くできてて軽いんだよな。今度みせてもらってみ?」
「そうなの??」
「あいつは剣術の腕は本当に凄いよ。かなりの鍛錬してきてるしな。ま、力はどうしても男にゃ負ける。まあカムイがもしも白夜刀持つならカザハナと同じ薄刃のタイプだな。薄刃は力が無い分切れを良くしてるから切れ味が最高にいいぜ。」
「このヒナタさんのとどう違うの?」
「俺らは男だろ? 力があるからその分どっちかってと薄刃のものと比べて切れがわりぃんだ。」
「そうなんだ!!!」
「刀一本とっても繊細なんだよ、白夜はな。」
今までは暗夜での剣ばかり見て来た。白夜のものと比べてとてもゴツゴツした武骨な形の剣は重く振る事すらなかなか出来ずにいた。レイピアは軽いが刺す事に特化した剣であまり薙ぐことが出来ず実践では使い方を選ばなくてはならない為マークスが色々と改良してくれたカムイ用の軽くて扱いやすい鉄の剣が愛刀となっていた。白夜に来てからリョウマやヒナタ、カザハナ達が使う剣をみてあまりの繊細な美しさに目を輝かせた。剣術に至っても暗夜では叩きあって力圧しし体重をかけて攻撃する。白夜では相手の力を利用して流れる様に剣を扱う。今の愛刀の夜刀神は暗夜と白夜のものを両方合わせたような剣だ。そうなると今までの暗夜式の剣術だけでは夜刀神の良さを全て出せず使いこなせない。白夜式も少しづつだが練習してきていた。

「それにしてもそんな太い棒よく片手で振り下ろせますね…」
ヒナタは話しながらブン!という音と共に汗を散らせながら鍛錬棒という丸太から削り出した太いこん棒の様なものをずっと片手で振り下ろしている。

「素振りは基本だろ。」
「そうですけど…迫力が凄いなぁって。ブンッ!って下ろしたら風がぶわってくる位の勢いだし。」
「やってみるか、っていいてぇけど、おめぇがこれ振ったら肩が抜けちまうな。」
「そんなに重いんだ。」
「持ってみっか?」
「うん。」
ヒナタに棒を渡されて手を離されるとズシッ!!!っと重さがかかりこん棒の頭はゴン!と地に落ちる。

「えっ? うーーーーーーーーーーん…」
持ち上げようとするが棒はびくともしない。ヒナタはそれを見ながら水場に頭を突っ込んで水をかぶっている。

「うーーー………っっっつ!!!」
「ぶあっ!! …カムイ、無理すんなよ。」
頭をブルブルと振りながらカムイに声をかけるが「NOーーーーーーーっ!!!」と負けず嫌いの一言が出てくる。顔は真っ赤になって汗が噴き出していた。

「ははっ。無理だってー。」
ヒナタが近寄ってカムイの手の所を持って手伝うとひょいと持ち上がる。

「っはあっ、はっ、悔しいっ…」
「あのなぁ、流石のカザハナもこれは持てねぇぞ。」
「そうじゃ、なくて、ヒナタさんに、負けたのが、悔しいっ…」
「俺かよ…ほい、貸せ。休憩しよ。」
「まっ、待って。振ってみたいっ。」
「はぁ!?」
「ヒナタさん、みたいに振ってみたいっ。」
肩で息をしながら鍛錬棒から目を離さないカムイを見てヒナタは苦笑いする。

「1回で、いいから、振ってみたいっ。」
「…わーった。んじゃそのまま持ってろよ?」
カムイの背中からヒナタが手を回し手を重ねて構える。両手で持ち手をもっているカムイに対しヒナタは右手1本。しかも重ねられた手はとても固く大きく、カムイの両手を簡単に覆ってしまっていた。それもなんだか悔しくて唇を噛む。

「行くぜ。」
「うん。」
ヒナタの手の動きに合わせる様にカムイも手を上げる。ヒナタの「ふっ!」という掛け声と共に振り下ろされた鍛錬棒は風を巻き周りの草を巻き上げる。カムイの目にはそれがスローモーションに映る。同時に自分の頭の上から茶色の髪が覗きゆっくりと視線をやると濡れた髪を下ろしたヒナタが映る。水気を含んだ髪と流れる汗が光に輝き髪が揺れる。その姿にカムイの時間が止まる。ヒナタのこんな姿は今まで見て来た筈なのにどうして時間が止まり胸が高鳴るのか自分でも分からない。ただその姿に見惚れていた。

「ほい。これ以上は無理だから止めとけ…何だ?」
ヒナタにきょとんとした目で見返されカムイは我に返る。

「すっ、凄かった!!!」
慌てて鍛錬棒を振り下ろした事に感動したとアピールするように話す。

「風がぶわって!! 草もわってなって!!んでんで、こう何だかぶわーーーーって!!!」
「効果音多すぎ。わはははっ。」
ヒナタは笑いながら背中を向けて汗を拭いている。感動したのは事実だから嘘を言っている訳ではないが、目の前でいつもの笑顔で笑っているヒナタが違う人に見える。髪を下ろしている姿が初めてだからだろうか。癖の強い髪は少し巻いたようになっていてカムイの髪の様にピンピンとあちこち跳ねている。きっともっと梳いて綺麗に整えれば落ち着くであろうヒナタの髪は男性ならではの雑な扱いでの手入れなのだろう。毛先も少し固まってしまっていた。気になってきてその毛先に手をやりクシクシと固まりをほどく。

「あ? どした?」
「んー…毛が…」
「毛? あー、俺ぁ癖っ毛だかんなー。あっちこっち絡まんだ。」
「ちょっとそのまま。気になっちゃって…」
「野郎の髪だ、構わねえよ。」
そう言われながらも少しづつ髪を解いていくが自分よりかなり背の高いヒナタの髪を立ったまま弄るのには体力が居る。

「ちょっと座ってください。」
「何で。」
「いいからっ。背が高くてたわないの。」
「んー? 別にいいってー。」
ヒナタは面倒くさいと言って嫌がったがカムイがあまりにも懇願するので結局その場に座り髪を解いて貰う事になった。カムイは自分の荷物の中から櫛を取り出し少しづつ少しづつ髪を切らない様に集中して解いていく。

「白夜の男性って皆髪が長いんですか?」
「後ろ髪だけな。王族は産まれてから髪は切らねえし武家の俺らも基本は切らねぇ。はやり病にかかったりしたら魔除けやら厄除けの意味で切る事はあるぜ。俺は一度切ったな、ガキの頃。質の悪ぃ風邪ひいちまって死にかけた。」
「えっ!?」
「ま、こうして生きてるからいいんだけどな。」
「よかったですね…助かって。」
「へへ。まーな。じゃねえとカムイとも会えてなかったし。」
「そうじゃなくて、生きてる事に感謝でしょ。」
「まぁ今はそんなにこだわらないみたいだけどな。気にせず好きな髪型にしてるよ。」
「ふーん…よっし終わりっ!!」
ゆっくりと髪を解き、全体に櫛を通していく。少し硬いがサラサラになったヒナタを髪を指で撫でてふんっ!と満足そうに鼻を鳴らす。

「おー、あんがとな。」
「綺麗な茶色の髪。いいなぁ。」
「俺ぁ、おめぇの髪の方が好きだけどなー。」
ヒナタは振り向いてカムイの髪に触る。自分と同じくクセの強い髪だが男のものとは全く違う。その手触り良く柔らかい髪を指で遊ばせる事は時を忘れてしまう位に気持ちが良い。

「カムイー。」
「はい?」
「俺、この髪の色の子が欲しーなー。ぜーってぇ可愛いと思うんだよなー。」
「んー、だったら軍で言ってもなかなかいませんよね?この色ってなかなか見ないから。」
「おめぇ、マジで言ってる?」
「?」
「やっぱり分かってねぇな。おめぇの、子が、欲しいの。」
「誰の? 私の?」
「おめぇは……おめぇが産む俺の子でっ、おめぇの髪の色の子っ。」
「…へ?」
「へ?じゃねぇ。全く…」
頭をガシガシと掻きながら少し顔を赤くして髪を結い始めるヒナタを見てカムイも一気に顔に熱が集まり両手で覆い隠す。ヒナタは裏表がなく元々直球を投げては来る。最近はごり押しは無くなったが時々こうした今後の会話が増えてきた。まだ心が決まり切っていないカムイにとってはパニックになる位刺激が強い言葉で気持ちを伝えてくる。

「あのよー、カムイ。何度も言うけど俺は本気だぜ?」
「は、はい…」
「まぁそこがおめぇの可愛いところだからなぁ。惚れた弱みだ、のんびり行くわ。」
「…ごめんなさい…」
カムイの頭をくしゃくしゃとしながらヒナタは苦笑いしてみせた。

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「…集中してないね。」
タクミに教えて貰えるようになった弓の稽古は大体早朝だったが、キャッスルの当番などでこの日は午後からとなっていた。いつもと同じ様に心の準備をして来たはずなのに今日は調子がおかしい。カムイ自身も何故こんなにも乱れているのか分からずに只管矢を放ち続けていた。

「すいません!おかしいな…」
「おかしいおかしくないは僕には関係ないんだけど?」
「はい、すいません。やり直します…」
カムイが弓を的から外しに行こうとしたがタクミに止められた。

「こんな状態で何度やり直しても同じだよ。」
「いえ、もう一度やらせて下さい。」
「僕もこれでも暇じゃないんだけど。」
カムイは唇を噛んで出来るだけ急いで弓を外し準備をする。弓道場では私語は禁止。走ったり騒音は出すなとタクミにしつこく念を押されている。慌てている姿を隠しつつ注意を払いながら動く。準備が終わり師匠であるタクミに向き直り一礼する。タクミは蔑む様な目でカムイを見ていた。挫けそうになる気持ちを叱咤しながら、深呼吸して矢をつがえ1本目、的の1番外側に当たる。タクミの溜息が聞こえて歯を食いしばり2本目をつがえてつるを引いた所で指に痛みが走り矢を落としてしまう。直ぐに一礼して矢を拾おうとした時にタクミに腕を掴まれる。

「皮が剥けてるね…来て。」
タクミは懐ろから布を出して指からジワジワと流れるカムイの血を抑えて手を引っ張り長椅子へ連れて行き手当てを始めた。

「あ、あの…」
「門下生は私語禁止。」
淡々と手当てを終えてタクミは立ち上がりカムイの弓などを片付け始めた。

「あ、まだ出来ます!」
「怪我しておいて何言ってるの?出来ないよ、そこは1番使う指だ。だから皮手袋をしろと言ったのに。」
「いえ、手当てをして頂きましたし大丈…」
「しつこいなぁ。今日はもう終わり。集中してない、自棄っぱちで矢を射る、挙句に怪我しておいてまだやるだって?あんたの育った暗夜じゃどうなのか分からないけど白夜の弓道はもっと高尚なものなんだ。馬鹿にするのも良い加減にしてよね。」
「わ、私、馬鹿にしてなんか…」
「今日はもうあんたと話す気はないから、さっさと帰ってよ。」
「…片付けは出来ます。やります。」
「いらない。あんた弓の素質ないよ。もう弓の稽古は終わり。あんたは破門だ。」
弓を取ろうとしたカムイの手を払って背を向け片付けを続けるタクミを見てカムイの中の何かが崩れていく。湧き出る涙を堪え体を震わせながら一礼して静かに弓道場を後にする。タクミは道場の中で弓を握り唇を噛み締めて強く目を閉じていた。

「……僕は、どうしたら…カムイ…カムイっ…!!!」
タクミが絞り出したその言葉は涙声だった。

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夜、眠れないカムイはブランケットをかけてベランダで空を見ていた。月は変わらず綺麗に光り星の光も負けじと空を輝かせている。

タクミの顔と言葉が心に刺さりカムイの心を少しづつヒビ割れさせている。このままだといつか粉々に砕けてしまうだろう。血の繋がったきょうだいでありながら好きになってしまった弟。許されない関係であるのは重々承知だ。たとえ結ばれなくてもせめてこの思いだけは伝え、その上できょうだいとしてやり直すつもりだった。だがタクミはやはり心を許してくれず自分に背を向けてしまう。ヒナタにも協力して貰ってやっと叶った弓の練習も結局こうして続けることが困難になってしまった。布を巻かれた指を見て溜息が出る。と同時に何かが自分の中で強い衝動となってこみ上げてくる。

叶わないのなら壊したい、全てをない事にすればいい。

心の奥底からタールの様な重たくドロドロとしたものが湧き上がってくる。駄目だという理性と壊したいという思いが自分の中で闘っている。母ミコトが亡くなった時に感じた喪失感に似たものがカムイの心を少しづつ侵食する。ドクンという強い心臓の鼓動と共に体がはね上がりカムイの頭の髪の一部が角へと変化する。まずは右、次の鼓動で左、次の鼓動で尾が伸びる。駄目だこれ以上この心の声に耳を貸しては。理性が叫び苦しくてカムイも体を震わせて耐える。いつも胸に付けているアクアから貰った竜石は部屋の中に置いている。身につけておかないと衝動に負けてしまうと彼女に教えてもらっていた。取りに行かなければ。そう思うがガクガクと体が痙攣して動かない。

誰か、誰か…助けて…

「カムイ?」
聞き慣れた声に顔を上げる。

『ヒぁ、タしゃ…』
「おいおい…どうしたよ、その姿…」
そういうとヒナタは驚きも怖がりもせずカムイの前に跪き両手でカムイの顔を包んで指で撫でる。

「どーした、ん?」
その顔はいつもの笑顔ではなく、とても優しい笑顔。カムイにふわりと微笑みかける。

「ほら、落ち着け。深呼吸してみ?」
そう言って額を合わせ目を閉じて一緒に深呼吸する様に促す。

「そーそー、ゆーっくりだ、ゆーっくり…」
ヒナタの無骨で大きな手に包まれ、ゆっくりと声をかけて落ち着かそうとしてくれる事に安心してカムイはいつの間にか涙を流していた。

「ん。」
手を広げて微笑むヒナタの首にゆっくりと腕を回して行く。太く強い腕に引き寄せられて抱き締められるとカムイは堰を切ったように泣き始める。泣き声は声にならず喉をグヒーガヒーと鳴らすだけだった。

「…声まで変わっちまって…ほれ、顔見せろ。あーあー、竜の目になってんぞー?落ち着けー。」
カムイの目玉は竜化した時の獣の目になっていた。その瞳の上に優しくキスされると細かい水の粒と共にカムイの角が髪に戻りふわりと肩に落ちていった。

「綺麗な髪に戻ったな。やっぱりこうじゃねぇと。体も冷たくなっちまってるじゃねぇか。ここに居たんじゃ風邪ひくぜ?」
髪を撫でながら落ち着くまでカムイに付き合ったヒナタがブランケットをかけ直し自分の外套を脱いで重ねそれごと包み込むように抱き締めて部屋へと入れる。リビングの椅子に座らせようとするがカムイはヒナタの着物を握ったまま離そうとしない。

「嬉しいけどよ…流石にこの時間に、なぁ…」
仕方なくベッドまで連れて行きカムイを抱いたままベッドに座る。サイドテーブルに置いてあった竜石をカムイにかけてやるとカムイも一呼吸ついたようにため息をついた。

「この石は外しちゃいけねぇものだろ? ちゃんとしとかないと駄目じゃねぇか。」
横抱きにして膝に座らせるようにして頭を撫でてやるとカムイは俯いたままこくりと頷く。

「手、どした? 弓の練習で何かあったんか?」
「…皮が剥けてしまって…」
「皮手してなかったんか!?」
「あ、うん…そのままでやってたから。」
「タクミ様は何も言わなかったんかよ!?」
「一応最初にしろとは言われましたけど…私がしなかったんです。早く上達して認めて貰いたかった、から…」
「おめぇなぁ、頑張り屋なのは認めるけど…」
「もう、教えてもらえなくなりました…」
「あ?」
「…弓の才能ないし、もう教えないって…何で私はこんなに要領が悪いんでしょうね…怒らせて、しまって…ごめんね、ヒナタさん…」
タクミは間違いなくカムイに対して姉として以上の感情を抱いている筈だ。それ故血の繋がりがあるが為に拒絶して避けているのは解る。それにしても感情の表し方が不安定過ぎる。王族として産まれて恋愛などになれていないにしてもこんな対応の仕方は人としてない。まっすぐに伝えようとするカムイとひたすら内に溜めて面に出さないタクミ。正反対の二人だからこそ起こる事だ。だがタクミがカムイと結ばれ駆け落ちする事になったとしても自分は臣としてついていく覚悟でいる。自分がカムイを好きなのも含めて彼女や主の幸せも自分の喜びなのだ。ヒナタは小さく舌打ちしてカムイをベッドに座らせ立ち上がる。

「やっぱし、一発殴ってくるわ。」
大股でドアへ歩いていくヒナタをカムイは抱き着いて止める。

「ヒナタさ、やめてください。いいの!!」
「いい訳あるか!!! いつまでぐずってんだ!!! 人の気も知らねぇで…カムイもこんなにボロボロにしやがって!!!殴ってやらねぇと気が済まねぇ!!!」
「お願いします。やめて…いいの、もう。」
「よくねぇだろ!!! カムイがどんだけっ…」
カムイは背伸びしてヒナタの首に手を回して抱き締める。

「ありがとう、ヒナタさん。タクミさんの事も私の事も大切にしてくれて。もういいんです。あなたはタクミさんの臣。タクミさんの事だけ考えてあげてください。」
「諦める、のかよ、いいのかよ、それで!?」
「タクミさんに辛い思いをさせてるのならこれ以上はそんな思いをさせたくないの。それに、私も……壊れてしまう…」
「何で…カムイが悪いわけじゃ、ねぇだろ…」
「ううん。いいんです。今からの戦にこんな感情を巻き込むわけにはいかないもの。それに、私の体は、こんな体だから…ありがとう、本当にありがとう、ヒナタさん。」
カムイが怪我の治療している間、アクアが王族の臣下達にカムイの体の事についての説明を行った。今後の戦に備え竜化するカムイについての対処法を。普通の人間とは違う血が混じるカムイは動物的な衝動に駆られることがある事。全てのコントロールは竜石でなんとかなるがその石にも限界がある事。先ほど竜化もきっとそれの一つだろう。カムイも自分の体の事は理解していた。それ故踏み出せない事も沢山あった事をここでヒナタは改めて知った。だからこそどうにか幸せになって欲しかった。許されるなら自分がカムイを幸せにしてやりたいと思っている。なのにカムイは全てを諦めようとしていた。ヒナタは歯噛みしてカムイを抱き締める。

「確かに俺はタクミ様の臣だ。タクミ様の為に生きてタクミ様の為に死ぬ。その覚悟は臣としてお側に仕えてからずっと出来てる。でも俺とカムイとじゃ違ぇだろ。何をそんなに我慢してんだよ…もっと自分に素直に生きてもいいじゃねぇか…」
「ヒナタさんがそう言ってくれて、私は本当に心が軽くなったんですよ。甘やかしてくれて、優しくしてくれて嬉しかった。きょうだい達以外にそんな事してくれる人はいなかったから。さっきだってそう…助かりました…」
「今日は巡回当番の早番で交代になったからちょっと寄ったんだ。何となく寄らなきゃいけないような気がして…」
「いつもそうして助けてくれますね。」
そうして笑うカムイは少し無理して笑っている様に見えた。もっと綺麗な笑顔をする人の筈だ。目の下に酷い隈を作って憔悴しているのに無理やり笑って元気にしている人ではない。その笑顔や無邪気な様子が軍の皆や民を引き付けるカムイの魅力なのに無理をしているのが解っているだけに辛い。助けてやりたい。大切な王を。なにより自分の好きな女性を。どうすればいい。

「笑って、ヒナタさん。」
「?」
「笑いましょう。きっとそしたら明日も元気にいれます。」
カムイを元気にしてやりたいのに、何故カムイは自分を心配しているのか。それでも笑えと言われたなら、それが彼女を元気にさせるなら、笑おう。

「ったく…わーったよ。タクミ様を殴るのはまた今度だ。」
「解って頂けてよかったです。」
「はーーーー…やれやれ…」
「やれやれ…」
「やれやれはおめぇだよ、このっ。」
「あはは、ごめんなさい~!!」
カムイをくすぐって笑いながら夜は更けていった。

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