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「最近覇気がないようだな。」

不意に声をかけられ顔を上げると目の前にリョウマが立っていた。

自室の前の縁側に座り目を閉じて瞑想をしてたヒノカは驚いて肩を跳ねさせ「びっくりした…」と胸に手を当てて顔を上げる。

 

「…俺が近づいても気配も感じんとは、お前らしくない。どうした?」

いつも鎧を身にまとい険しい顔をしているリョウマがリラックスした姿で優しい顔をして聞いてくる。

その姿に一瞬弱音を吐きそうになるが1つ飲み込んで答える。

 

「いえ。なんでも。」

一応普段通りに答えたつもりだがリョウマは驚いた顔をしている。

何だろうと上目遣いに顔を見るとその顔が綻んだ。

 

「お前の口からその様な優しい言葉遣いが出るとはな。久しぶりに聞いた。」

「え?」

「最近は所作も随分変わった。兄としては嬉しい限りだ。」

リョウマは目を細くして嬉しそうに笑っているがヒノカには何の事か全く解らない。

きょとんとしているとその顔を見てリョウマは軽く噴き出す。

 

「ふふ、自覚がないのか。まあお前らしいが。」

「な、何を…兄様はここで?」

「いや、たまには屋敷の中を散策してみようとな。ここに来てから新しいこの屋敷をあてがわれたがまともに見て回ったことが無かったから。なかなかいい感じに白夜の庭が再現してある。季節に合わせて顔を変えるのが楽しみだ。向こうの池の鯉を見たか? いい色柄のものがいたぞ。あれのエサは誰がやっているのだろうか。」

「サクラやタクミがやっていたのは見たことがあります。」

「そうか。今度俺も一緒にやらせてもらおう。ヒノカもどうだ?」

「はい。」

「…益々おかしいな。恋でもしたか?」

「なっ!? なな、何をいきなりっ!?」

リョウマはその慌てように笑ってヒノカの隣に腰かける。

 

「お前も恋をしていい年だ。何を慌てる事がある?」

「慌ててなどいません!」

「お前は…本当に自覚がないのか?」

「先ほどから何の事です?」

「やれやれ…」

リョウマは頭を掻いて困った顔で笑いヒノカの頭にポンと手を乗せる。

 

「ヒノカ。お前が覚悟を決めて髪を切り武器を握ったのは俺もよく解っている。だが俺は兄としてお前には女として幸せになって欲しい。カムイもこうして帰って来た。今はカムイのお陰で暗夜の面々とも上手くやれている。だから少し肩の力を抜いても良いのではないか?」

「私は、白夜武士です…だから…」

「白夜武士の前に、お前は俺の大切な妹だろう。」

「兄様だって…」

「俺は結婚したぞ。オロチがいてシノノメも生まれて どれだけ支えになっているか解らない。伴侶を作る事は悪い事ではあるまい。」

「そ、そうですが、男と女では…」

「変わらんだろう。何故人間に男と女が出来たと思う。支え合う為だろう? 父上と母上達を見ていてもそれは明白。不思議な事でも悩む事でもない。…それに…お前は自由に恋が出来るのだ。それを幸せだと思わなくてはな。柵に囚われ抜け出せない鎖につながれている訳じゃないんだ…」

リョウマは遠い目をして話す。

ヒノカにはリョウマが小さく話した事が何のことかは解らなかったが、自由に恋愛をしていいという兄の言葉に心が軽くなっていくのは解った。

だが恋愛感情は自分が今まで必死になって作り上げてきたものを全て壊してしまうイメージが強く どうしても踏み出す事が出来ずにいる。

武人として律した自分をそれだけの事で崩していいのか。

部下たちにも示しがつかない。

ふとあの時のマークスの悲しそうな顔が浮かび唇を噛みしめる。

 

「というわけで、今度食事会を…」

「え?」

「なんだ聞いていなかったのか?」

「あ、す、すみません…」

「…折角暗夜と白夜双方の王族が一堂に会したのだ。交流も含めて食事会を催そうと思う。」

「…え…」

「構える必要はない。鎧の着用も一切無しの無礼講で臣下も含めてな。来週早々に予定しているのだが何か予定はあるか?」

「…私は…」

「お前が出んと話にならんだろう。タクミもサクラも出席させる。よいな。」

リョウマの言葉は次期国王としても兄としても絶対だ。

ヒノカは首を縦に振るしかなかった。

 

「ちょっとぉ! もー、誰かハロルドをどっか捨ててきてー!」

「私が行く。」

「エルフィ、戻って来なさいよ! 」

「解ってるわ。だってまだ食べたりないもの。」

広間の端に備えられた畳スペースにハロルドが酔っ払い大の字になっていびきをかいて眠っているのをワインを片手にチーズを持ったルーナが文句を言いながら蹴っている。

それをエルフィが口の周りに沢山の食べ物カスをつけたまま担ぎ広間の外に連れて出た。

広間には沢山の料理が並べられバイキング形式で自由に食べたいものを選んで食べられるようになっており次々に運ばれてくる料理に皆目を輝かせ和気藹々と交流をしていた。

 

「これおいしーい!!生の魚って食べられたんだ!!」

「お刺身といって生のまま食べる魚の料理です。ちゃんと毒消しの役割でわさびなどをこうして付けて…」

「毒が入ってるの!?」

「ち、違いますよ。ただわさびというのは…」

エリーゼとサクラが楽しそうに食事をしている所にカムイがひょいと割って入る。

 

「でですね、このお刺身をこーしてべったりわさび醤油に漬けて。こんな風にご飯の上に紫蘇と一緒に置いてー…んーーーーー!!! 美味しいーーーーー!!!!」

「お姉ちゃん、一口頂戴!」

「いいですよ。はい、あーん。」

「あー………んんんんんん!!! おいひーーーーい!!!」

「カムイ姉様ったら、そんな食べ方どこで?」

「ヒナタさんに教えてもらいました。ね? ってあ、また飲んでる。」

カムイの後ろでラズワルド達と一緒に居るヒナタに声をかけると、すでに結構飲んでいるのに顔色ひとつ変えていないヒナタがニヒッと笑う。

 

「市井の食い方も悪くないっしょ、エリーゼ様。」

「ヒナタ、ナイス!! 今度私にも教えてよ!んじゃ今度は私が。この肉の煮込みがね…」

「んん、美味しいです!! こんなに大きいお肉がこんなに柔らかいなんて…あ、兄様、兄様もどうぞ。」

「え、僕は…」

「タクミ王子、食べてみて。絶対美味しいから!!」

エリーゼとサクラに勧められて断れず慌てるタクミはエリーゼに肉の煮込みを口に突っ込まれてむせている。

 

「ラズワルドさん、私もいーれてー♪」

「カムイ様ーっ! お待ちしてました~。喜んで~♪」

畳スペースに靴をポイと脱いで上がってくるカムイに酔った勢いで抱き着こうとしたラズワルドをヒナタが首の所を掴んで止める。

 

「ラズ~…」

「ありゃ…ごめんって!!」

「ヒナタの前でそれやっちゃ駄目っしょ~。」

オーディンがケラケラと笑いながらラズワルドをペシペシ叩いて座らせ、ヒナタが目線を移すとすでにカムイはクピクピと飲み始めていた。

 

「おめっ、それ度数が高いやつ…」

「これ美味しいねぇ~♡いくらでもいけそ……ありゃ?」

カムイはその場にステーンと倒れ込み畳スペースが騒然となる。

 

「カムイーーーっ!? ちょ、水、水っ!!!」

「カムイ様ッ? おしぼり、おしぼりっ!!!」

「全く…どいて。」

落ちついた様子でレオンが側に寄ってきて何やら口で唱えるとカムイの口から水の塊の様なものがぷわんと浮いて来た。

 

「しばらくしたら起きるから。これでもう酔いは無いと思うけど、姉さんは特性からか弱いくせに酒好きなんだから…お前達ちゃんと管理しないとどうなるか分かってるだろうね…?」

「す、すいませんっ!!!」

一気に酔いが醒めたオーディンが座りなおして背筋を正して返事をする。

 

「すげぇ。レオン様、惚れそう…俺が今度酔っぱらったらお願いしていいですかぁ?」

「…君のそういう所は嫌いじゃないけど、男は願い下げだね。他に頼んで。」

ヒナタが感動してレオンに言うとレオンはシレッと返しサクラ達の所に歩いていった。

 

「なんでいい男ってこんなにつれねぇの!」

「うわ、レオン様、惚れます!」

ヒナタやラズワルド達が笑いながらふざけているとカムイが爽快に目覚めた。

 

「ありゃあ? なんで私…そう、お酒が美味しかったんだー、これ…にゃ?」

また先ほどの酒を取ろうとすると襟を掴まれクルッと向きを変えられる。

目の前には胡坐をかいてジトッと見るヒナタと、その後ろに苦笑いをするラズワルドとオーディンが座っていた。

 

「たまたまレオン様が助けてくれたからよかったものの、これが市井の飲み屋だったらおめぇは今頃とんでもない事になってるんだぞ。自覚あっか?」

「ふぇ?」

「…っ…そんな顔しても誤魔化されねえからな。酒を飲むときゃ取り合えず度数を確認してから飲め!」

「とんでもない事って?」

首をかしげてきょとんとするカムイにヒナタも以上言葉を発せず頬を染めて俯いてラズワルドの手を取ってパンと手を合わせ後ろを向いてしまう。

 

「ラズ、チェンジ。」

「え、ちょっとお!!! え、ええとですね、カムイ様…」

ラズワルドが代わりに説明しようとするとカムイは今度は逆に首をかしげてきょとん顔でじっと見てくる。

 

「は…恥ずかしいよ、そんなに見られると…オーディン、チェンジ。」

「えっ、おれっっ??」

「ふ…チェリーどもには刺激が強すぎる。ここからは俺が手取足取りお教えしようか…」

オーディンが慌てているとカムイの前にゼロが座りその顎を手ですくいながら声をかける。

その様子を見てヒナタは止めようとするがその前にアシュラが出てきてゼロをひょいと制止した。

 

「ゼロ、折角ここで楽しく遊んでんだ。坊主らの邪魔すんな。」

「折角の逢瀬を…野暮ってもんだぜ、おっさん。」

「おっさんっつーのは野暮すんのが仕事だ。おら、あっちで飲むぞ。」

ゼロをズルズルと引きずっていくアシュラを見ながら、相変わらずカムイは意味が解らずきょとーんと座っている。

 

「ねぇ、なにがとんでもない事なの?」

「…もうそれはいい。だが頼むから、ほんっとに頼むから、度数見てから飲んでくれ。」

「度数?」

「…!!! ま、まさかおめぇ酒の度数が解らな…」

「度数ってなに?」

「…!!! レオンさまーーーーーーーっ!!!ちょっとレオン様ーーーーーっ!!!」

ため息をつきながらヒナタが話すもカムイは酒の強さを表す度数すら理解出来ておらず頭を掻きながらレオンを呼び、渋々やって来たレオンに懇々と酒についての説教を喰らいカムイは項垂れて小さくなっていた。


 

「何やってるのかしら…」

「うふふ、でもあんなカムイもかわいいわ♡」

「す、すいません、同じ臣下仲間として恥ずかしい…」

アクアとカミラ、オボロ達女子グループが固まってその様子を見ながら談笑している。

 

「お酒もいいけど、そろそろお茶が欲しいわね。」

「お腹もいっぱいになったし、そうね、お茶がいいわ。」

アクアとカミラがメイドに声をかけてお茶の準備をしてもらうが、その端でエルフィとセツナがぼそりと呟く。

 

「私まだ食べたりないんだけど…」

「わたしもー…まだはいるー…」

 

今日の席順は基本的には不順。

臣下も王族も好きに座っていた。

リョウマの側には当然妻のオロチが座り、ヒノカは適当に空いた所に座っていたがそんなに食欲もなく早々に席を立ち広間を後にした。

いつも着ている服とは違う装いで疲れたのもあるが、先日のマークスとの件から暗夜の面々と共に居る事が出来辛くなっていた。

もう自分の中で整理をした筈の事が口をついて出てしまった。

あんな物言いは今後の共闘の行方にも関わる。

それよりも自分がこんなにも簡単に恋に落ちてしまっていたという事に気付き、今まで抱いた事のない感情と武士としての思いにどうしたら良いのか解らなくなってしまっていた。

自室に戻って軽い服に着替え、ヒノカは気晴らしに夜の市場に向かう事にした。

日中の市場も賑やかで活気があるが、夜はまた別の顔を見せる。

夜店のメニューも変わり酒とも合うようなものも出始める。おでんも出始めた時期だ。

そうだ、おでんを食べに行こう。

手には小さな巾着を持って夜空を見ながら市場に向かった。

 

屋台のおでん屋を見つけ、店主に具を何種類か取ってもらい、すぐ側の長椅子に座りあつあつのおでんを口に運ぶ。

優しい味に自然に目が細くなり体に染み渡るようだ。

はあ…と一口食べて飲み込んでは夜空を見上げてため息をついていると店主にお銚子を一本出された。

 

「え、私頼んでない…」

「美味そうに食ってくれて俺も嬉しいや。なんも気遣いはいらねぇ。おまけするからゆっくり食べて行きな。」

「あ…ありがとう。」

店主が満足そうに笑って屋台に戻るのを見て猪口に熱燗を注いでくぴと一口飲む。

ふー、と一息ついて、あつあつでほろりと解ける大根にカラシをたっぷり乗っけて口に入れ、モグモグ食べて鼻にカラシがツーーーンと来たところで熱燗をまたクピッと口に含む。

 

「んーーーーーーっ…」

美味しさに猪口を持ち上げて足をバタバタさせていると、背中から店主の笑い声がする。

 

「ははは、うめぇかー! まだあるぜー。」

あ…と口を手で押さえて笑い向き直って、今度はガンモを…と箸で切り口にパクッと入れた所で視線を感じそのまま目を移す。

目の前にはサークレットも帯剣もない軽装のマークスが立っていた。

ヒノカは手に持っていた箸と猪口を落としそうになるがマークスが走り寄ってそれを止めた。

 

「あ、危ないだろう…」

ぼうっとしていたヒノカが手をマークスに握られているのに気づき手を振り解こうとすると猪口の酒がマークスの手にかかってしまった。

 

「あつっ!!」

「あ!?」

ヒノカは慌てて巾着から手拭いを出そうとするが、店主が寄ってきて「使いな」と出してくれた。

 

「ありがとう。借ります…」

マークスの手をそれで拭いて店主に返すと、店主がマークスに声をかける。

 

「よー、兄ちゃん。また来たか。今日は何にする?」

「あ、そうだな、今日は…」

店主と共に笑いあって屋台に向かい皿と箸を持って戻って来た。

 

「隣に座っても?」

「あ、はい…どうぞ。」

マークスが隣に座り皿を横に置くと店主がお銚子を一本持ってきた。

 

「ほれ、お得意さんにサービスだ。飲みな。」

「ありがとう。この酒は美味いな。」

「だろうー? 白夜は水が綺麗だからな。水が綺麗な所は酒がうめぇんだ。外人のあんたにもそれが解ってもらえて嬉しいぜ。ゆっくりしてけよ。」

「あー、そうする。あとお代わりにいくよ。」

店主は満足そうにマークスの背中を叩いて屋台に戻る。

マークスは上手に箸を使って厚揚げを口に運び、美味しそうに食べていた。

その姿をヒノカは驚いて見つめている。

 

「冷めるぞ?」

「え、あ…」

箸と皿を持ってヒノカも食べ始めると、マークスはそれを見て微笑みまた食べ始める。

口に含んで猪口の酒をくいっと飲み、はーーっとため息をつく姿にまたヒノカの手が止まる。

 

「な、なんで…市場には一度も来た事がないって…」

「確かに無かった。だから最近時間を見つけてはこうして出て来てるんだ。」

「1人で…?」

「ああ。取り合えず色々と見て体験してからじゃないと。」

マークスの話し方が普段とあまりに違いそれに対してもヒノカは目を白黒させていた。

 

「…変か?」

「え…」

「この話し方。市井に出るのならばとレオンやカムイの話し方を真似てみたんだが、案外話しやすくていいな。今度から普段はこの話し方にしよう。折角肩肘張らなくちゃいけない暗夜国内とは違う場所にいるんだ。謳歌しないと。うん、美味いな。これは何ていう具なんだ?ヒノ…さん?」

急に別の呼び方で呼ばれてヒノカは頬を赤く染めるが今は身分を隠していなくてはならない。

仕方が無いと頷いて答える。

 

「こんにゃく…」

「ぐにゃぐにゃしてて最初はなんだろうと不思議だったが食べてみると美味い。おじさん、これもう一個。」

「あいよー。」

「ヒノさんのこれは何だ?」

「が、がんも…」

「へい、お待ち。」

「おじさん、この、彼女が食べてるこれも。」

「お、段々種類を選ぶようになったな。よしよしっ。待ってな。」

「ヒノさん、こんにゃく半分いるか?」

「え、あの…」

「待ってて…よっ…はい。」

箸でこんにゃくを上手に取り分けて半分をヒノカに渡し、あつあつのこんにゃくを頬張って「あっつっ!」と飛び上がっているマークスを見てヒノカも我慢できなくなって笑い始める。

 

「ふふ…おでんはゆっくり食べる物。慌てて食べたら火傷するよ、マクさん?」

久しぶりに見れたヒノカの笑顔にマークスも柔らかく笑顔を返す。

2人で並んでおでんを食べて屋台を後にし市場をうろついているとヒノカがある屋台の前で立ち止まり何かを買い始めた。

戻ってくると手には赤く丸い大きな飴の様なものを持っている。

 

「飴…にしては、大きすぎないか?」

「中を見て?」

「…リンゴ?」

「これはリンゴ飴。リンゴの周りに赤い飴をつけたもので、甘くておいしいの。」

「…美味そう。」

「はい、マクさんにも。」

ヒノカが後ろに隠していたリンゴ飴を出して渡すとマークスは子供の様に目を輝かせて受け取り、歩きながらマジマジとそれを眺める。

 

「これを舐めて、リンゴだけにして食べる?」

「それもいいけど、私は舐めて飴が薄くなったところをガジッと噛みつくかなぁ。」

「…結構野性的な食べ方なんだな…」

「案ずるより生むがやすし。」

ぺろぺろ舐めているとヒノカに止められる。

 

「マクさん、べーってしてみて。舌をべーって。」

「?」

言われた通りにしてみるとヒノカはケラケラと笑って鏡に移してマークスにその様子を見せるとマークスは驚いた。

 

「し、舌が真っ赤っ???」

「リンゴ飴食べるとこうなるの。ほら、私も。べーっ。」

「これは城では食べられんな…よかった、ここで。カムイはまだしもレオンやカミラに見られたら何を言われるか。」

口を押さえるマークスに笑いながらヒノカはがじっとリンゴに噛り付く。

口に広がるリンゴの酸味と飴の甘さに目を細めると、マークスも恐る恐る噛り付いた。

今までリンゴなどは皮をむかずに食べた事は無く初めての感触だったが、ヒノカの見よう見まねで食べているとその皮も美味しいという事が解り気が付くとシャクシャクと芯以外は完食してしまった。

のんびり市場を散策してリンゴ飴を食べ終わる頃には市場を出て夜道を歩いていた。

手に持つものが何もなくなり意識を逸らすものが無くなれば当然それはお互いの様子に行く。

ヒノカはいつもの天馬武者の着物ではなく、普段着の着物を着ている。

ごく薄いピンクの着物に裾の所に少し模様が入ってるだけのシンプルなもの。

帯には織の装飾があるがごちゃごちゃしたものではなくヒノカらしいさっぱりとしたものだった。

マークスは白いシャツにベストとスラックスの黒い上下のみ。

サークレットもなくそれがないだけで顔が優しく見える様な気がする。

黙ったまましばらく歩くとマークスが立ち止まった。

 

「この前は、すまなかった…」

「い、いや、私の方こそ、何にも考えずに…」

「私は国を代表する者として暗夜が今まで白夜に対して行ってきた非道を正すつもりでいるんだ。時間がかかるかもしれないが必ず。だから時間が欲しい。ヒノカ王女にも認めて貰える様な国に必ずして見せる。」

「それは、その…そんな事はない。私の中で整理がついていた事だ。それなのに感情に任せて口走ってしまった事は自分の未熟さもある。マークス王子が悪いわけではない。すまない。私こそ、許してほしい。」

ヒノカが頭を下げるとマークスは驚いたような顔をした。

上目づかいにそれをみて「また余計な事を言ってしまったか」と俯くと目の前にマークスが立つ。

マークスの靴が見えてヒノカはバッと顔を上げて身構えるが微笑んでヒノカを見ているだけだった。

 

「よかったら、また市場に行かないか。1人で行くより一緒に居る方が楽しい。」

「え…あ、はい…」

「楽しみだ。」

ヒノカの耳の所の髪をそっと撫でてマークスはヒノカの手を握って歩き始める。

 

「帰ろう。あまり遅くなってしまうと流石に皆に心配されてしまう。」

「あ、そうか。抜け出してきたんだ。」

「もう酔っぱらってそれどころじゃないかもしれんがな。はは…」

「リョウマ兄様とタクミは素面だと思う…強いから…」

「それはまずい。急ごう。」

互いの手を握ったまま、満天の空の下2人で小走りで城へと戻って行った。

「いらっしゃい、ヒノカ王女。さ、どうぞ。」

いつもの色気で優雅に室内に招き入れてくれるのはカミラ。

先日ひょんな事から手芸を教えてもらう事になり早速招かれたのだ。

 

「失礼する。」

「こちらにお座りになって。あら、それが白夜の裁縫箱なのね。見せて頂いても良いかしら?」

「ああ。」

手芸道具は一応嗜みとして持っているので持ってきた。

母イコナが使っていたものを譲り受けたミコトがヒノカに渡したものだが華美な装飾などはなく、持ち歩きが出来る取っ手がついているものだ。

イコナもミコトも縫物が上手で自分たちの服を縫ったり繕ったりしてくれたものだ。

ただ自分は縫物が得意ではない。

ミコトから譲り受けてからも一度も使った事がなく部屋の隅で置物になっていた。

 

「シンプルだけど素敵ね。あら、これ便利だわ。……あらまぁ、でもこれでは縫物は出来ないわね。」

裁縫箱を見せてもらっていたカミラが残念そうに笑ってヒノカに示すと縫い針や待ち針が錆びてしまっていた。

針が刺さっていた針山もサビで汚れてしまい、刺されたままだった針はそのまま朽ちてしまっていた。

 

「あっ! ああ…なんてこと…」

ヒノカはそれを受け取って落ち込んでしまう。

母達が大切にしていたものをこんなに朽ちさせてしまうとは…自分は女として失格だと落ち込んで項垂れているとカミラが隣のワゴンから何かを出してきた。

 

「針というのはいつか朽ちてしまうものよ。消耗品なの。」

「これは私の母のものだ。大切に使っていた。それなのに…」

「ええ、この裁縫箱は大切に長く使われているものみたいね。針は私のものを分けてあげる。ピンクッションは作り直せばいいわ。大丈夫。簡単だからお教えするわね。さ、お座りになって。」

「カミラ王女…」

「ふふ、カミラで良くてよ。堅苦しいのは私もあまり好きじゃないの。私もヒノカと呼ばせていただいても良いかしら。さ、 取り合えずは簡単なものからにしましょうか。この布なら四方を切りっぱなしでも朽ちる事はないわ。ちょっと派手だけど最初はこの位の方が作りやすいの。何色がお好き?」

「ええと…では、これで。」

「この黄色ね。あら、マークスお兄様の髪の色みたい。」

手触りの柔らかい布を広げながら何にも考えずに柔らかい黄色を選ぶとカミラがクスクスと笑いながら言う。

思わずビクッとなったヒノカにカミラが無邪気に布を出しながらいう。

 

「この色はレオン。あの子の髪の色は少し薄いのよ。エリーゼはマークスお兄様とレオンの間かしら。髪の量が多いから毎朝私がリボンを巻き付けて結ぶのよ。この色はカムイね。ヒノカ様はこの赤かしら。燃える様な色で素敵だわ。あら、ごめんなさい。話がそれちゃったわね。」

「い、いや。確かに似てたな。カムイのこの色もなかなか似てる。」

「でしょう? ついきょうだいに似た色を選んじゃうのよねぇ。ふふ…」

カミラは嬉しそうに微笑んでいる。

戦場で見るあの冷酷さはどこへやら、実はとてつもなく温かく母性に溢れた人なのだと解りヒノカも微笑み返した。

 

「そう。ゆっくりでいいから…縫い終わったらここでこんな風に…」

「うん、うん…っと………こうして…切って…出来た!!」

「ふふふ、出来たわね。」

カミラに少しづつ教えてもらいながら針山を縫い終わりため息をつくと、カミラがパチパチと拍手をしながら微笑んでくれた。

 

「よく頑張ったわ、ヒノカ様。疲れたでしょう。少し休みましょう。」

「うーん…やはりガタガタだな。カミラ様の針山との差が…」

綺麗に縫い目が整ったカミラの針山に比べ、ヒノカのものはガタガタで縫い幅もそろっておらずなんだか見すぼらしい出来だった。

でもカミラはそれを手に取って微笑む。

 

「最初、カムイに教えてあげた時もこんな感じだったわ。きょうだい皆に髪の色と同じピンクッションを作るんだって張り切っちゃってね。ふふ、何度も手に針を刺して…可愛かったわ…」

ヒノカの針山を見ながら穏やかに微笑むカミラを見て少し胸がざわつく。

その頃のカムイをヒノカは知らない。

本来ならばそれは自然にカムイと共にミコトに教わっていただろう事だ。

顔が俯いてしまう。

 

「でも、カムイに教えた事を、今度はお姉さまであるヒノカ様にお教え出来るだなんて本当に幸せよ。仲良くなれて嬉しいわ。お互い、お姉ちゃんとして今までできなかった事を沢山やってあげましょ。」

「え? そちらでカムイは…」

「お聞きになったかもしれないけど、カムイはずっと北の城砦に軟禁状態だったの。幼い私達はそれが何故かは解らなかったし理由を聞く事も許されていなかった。時々は皆で時間を作って会いに行っていたけどそれだけでは足りないもの…可愛そうな事をしたわ。だけど今は違う。今までやってあげれなかった事を沢山やってあげたいの。ヒノカ様もそうじゃなくて?」

「もちろんだ。」

「ね。だからこうして一緒に手芸をする事も続けましょ。今度はカムイも呼んで。」

「あ、ああ。そうだな。是非!」

カミラの言葉にヒノカも笑顔になる。

少し紅茶を飲んで休んだ後、今度はパッチワークの小物に取り掛かった。

色んな色柄のハギレの美しさに目を輝かせながらヒノカも楽しそうに布を縫っていく。

その間もヒノカが作った黄色の針山は大活躍していた。

 

「今日はここまでね。このままにして今度は仕上げに入りましょう。」

「ああ。本当にありがとう。とても有意義な時間だった。」

「ふふ、大袈裟よ…」

ヒノカは道具を片付けながらカミラが重ねているハギレに目をやっていた。

 

「ヒノカ様、少しハギレをお分けしましょうか?」

「えっ? い、いや、そんな…」

「いいのよ。こんなにたくさんあるんだもの。それに持って帰って空いた時間に少しづつ練習すれば次回はもっと上手に進める事ができるわよ。」

そう言われて何枚かハギレを貰って礼を言って部屋を出た。

自室に帰り裁縫箱を開けると黄色の針山が目につく。

それを手に取って見つめて微笑む。

 

「ふふ…確かにマクさんそっくり…」

もう片手に途中まで出来た小物を見やり、ふと思い立ってハサミを出してきて部屋で黙々と作業を続けた。

 

 

 

 

 

 

「ヒノカ姉さん? 」

不意に声をかけられヒノカが顔を上げるともう既に薄暗くなっていた。

人影が写る廊下の障子を見ると影はカムイの様だ。

 

「カムイか?」

「はい。」

「構わんぞ、入れ。」

そう言って行灯に火を入れるとカムイが静かに部屋に入って来た。

 

「うむ。大分和室への入り方も様になって来たな。」

「ふふ、姉さんのお陰ですね。今日はどうされたんですか? 昼から全然姿を御見掛けしなかったので心配しました。」

「ああ、これをしていて…」

「裁縫…ですか?」

「私はこういう事が苦手でな。カミラ様に教えていただいていた。」

「カミラ姉さんはとても上手ですから。うわあ、素敵な布…」

「カムイも昔教えてもらっていたのだろう? カミラ様から聞いた。」

「そうなんです。少しの時間だけだったからなかなか進まなかったけど、根気よくカミラ姉さんが教えてくれて、マークス兄さん、カミラ姉さん、レオンさん、エリーゼさんの髪の色に合わせてピンクッションを作ったんですよ。」

「そうみたいだな。」

「それでね、レオンさんにあげたら「僕は女の子じゃないから使わない」って言われちゃって悲しくてその場で泣いちゃったんですけど、今も机の中に持ってくれているみたいで…えへへ…」

照れくさそうに笑っているカムイを見て自分の作った針山に目をやる。

まだまだだが意外に楽しいものだという事が解って次のカミラとの手芸教室が楽しみになって来ていた。

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