朝カムイが目を覚ますとすでに隣にタクミの姿はなく枕元には朝食が置いてあった。
昨晩はほぼ一晩中目覚めては抱かれの繰り返しで今朝は体が疲弊しきっている。
体を起こすことも億劫でお腹は空いているが動きたくない。
「今朝は弓の練習するっていってたのに…タクミ怒るかな…」
それにしても昨晩のタクミは少しおかしかった。
今まで何度か体は重ねたがあんなに執拗に抱いてくることは今までなく少し心配になっていた。
だが自分が目を覚まして姿がなく朝食が置いてあるという事は1人で考え事をしたい時だ。
今までの付き合いでなんとなく解っていたカムイはこのまま見守る事にして眠りに落ちた。
その頃、いつもよりも長くタクミは弓道場で黙々と矢を射っていた。
昨晩のあの夢からどうしても頭が整理出来ず今朝はカムイを起こさずそのまま部屋に置いてきてしまった。
一晩中カムイの事も考えず抱いてしまった自分にも腹が立ち感情がコントロール出来ずにいた。
カムイと気持ちを通じ合わせてからこんな事は初めてだ。
手元の矢の最後の1本を打ち終わり深くため息をつくと入り口に気配を感じて振り返る。
そこには今一番顔を合わせたくない相手が立っていた。
「おはようございます。…呼びましたか…?」
「ヒナタ…」
「呼ばれた様な気がして来たんですが…気のせいでした?」
「…いや…呼んだ、かもしれない…」
実際に呼びつけた訳ではない。
何かを察知して自ら赴いたのだろう。
やはり最近のヒナタには何かある。
そう思い目を見るがその目は一切油断していなかった。
まるで戦場に居る時の様な目だ。
「聞きたい事が、ある。」
「はい。」
「カムイに何をした。」
ヒナタは眉をピクリと動かすが動じない。
黙ってタクミを見ていたが一度目を閉じてタクミを見直すと口を開く。
「…咎を、受けました。」
タクミは目を見開く。
咎とは王族との血の盟約での代償の事でその血を口にした主を裏切る事をしなければそれを受ける事は無い。
「全てを捨てて逃げようと望みました、どこか遠くへ。」
「…カムイ、と?」
「はい。」
タクミへの忠誠を破りカムイを連れて逃げようとしたというヒナタはその目を逸らさずタクミを見て話を続ける。
「もちろん、あの方は拒まれた。思い詰めて咎を受け狂った俺を、自らが傷つく事も厭わず、咎からも夜刀神からも、その身を投げ出して守って下さいました。俺は夜刀神に斬られ果てる事を望みましたがそれを許しちゃいただけず、こうして命を繋ぎ恥をさらして生きてます。」
「カムイの首の傷。あれはお前か。」
「はい…狂った時に、俺が。」
「殺すつもりだったのか!」
タクミはヒナタを怒鳴りつける。
目線は変わらず強くタクミに向けられたままだ。
「…心から、あの方をお慕いしています。あの時も、今も変わらず。」
「っ!!!…狂ったのは、その思いからか。」
「許されない思いだという事は最初から解っちゃいました。あの方はタクミ様と姉弟であった時もずっと、心を痛めて苦しんでた。無理に笑顔を作って皆に心配かけない様にって、いつも笑って、泣くことも自由に出来ない気持ちはタクミ様が一番解っていた筈です。男はそうして悩まなくちゃならない時があります。だけど、あの方は、カムイは女だ。誰かが、男が守ってやらなくちゃ、あのまま潰れてしまってた。」
「…それが何で、お前なんだ。」
「自分の胸に手を当てて聞いてみて下さいよ。あんたや俺たちなんかとは次元が違う世界で、あいつは1人で戦ってる。それでなくても重たいものを、あの細い手と体で抱えてる。そん中であいつが心の安らぎを最初に求めたのは、タクミ様、あんたにだったのに、あんたはあいつに何をした。」
ヒナタの目がタクミを睨みつける。タクミの頭の中に自分に対して恐怖を抱いた顔をしていたカムイが映り目を固く閉じる。
「俺はあんたの臣下。あんたのやった事をフォローする役目も俺らの仕事だ。最初はそうだった。戦場でカムイが助けに来た時、あんたはカムイの元に行かなかった。あれだけ傷だらけになってあんたを守ったのに。あの時、自分の気持ちに気付きました。あんたが出来ないなら俺が守る。俺が側に居て、守って、笑わせてやりたい。そう思いました。心から。あいつの側は温かい。出来るなら隣で生きるのは俺であって欲しかった。でも運命は俺を、俺たちを選ばなかった。」
「俺、たち?」
「…俺たちはタクミ様や彼女とは身分が違う。生きる意味も。」
「…!!」
「狂っても気持ちを偽るよりましだ。どうせならカムイのその手で殺される事を選ぶ。無理だと解ってるから汚い手だとしてもその一瞬だけでもタクミ様を手に入れる事を選んだ。生き恥を晒しても愛する人の側に居たいと願う事は、心は、誰にも邪魔させない。例えそれが主だとしても。前も言いましたよね。この思いだけは俺の宝だと。例え添う事が出来なくても、隣にいれなくても、側に居て守る事なら出来る。俺たちはそれを選びました。悔いはねぇ。カムイがどんだけの覚悟で髪を切ったか知ってますか。女にとっては大切な髪を、あんだけ綺麗だった髪を、俺の目の前で、笑顔で…大粒の涙を流しながら切り落とした! 国や皆の命と自分の思いを天秤にかけて、あんたへの思いも自分で潰して1人で居る事を選んだ! オボロだって、あんたへの思いが捨てきれなくて、事がばれて死罪になってもいい覚悟で抱かれたんだ!」
タクミはその場でよろけ後ろの棚に背を当てる。
秘された筈の話を何故ヒナタが知っているのか。
カムイがあの美しい髪を切ったのは…目の前が真っ白になる感覚に襲われるがヒナタの声で現実に戻される。
「…途中で意識が遠くなって、気づいたら俺の手がカムイの首から肩を握っていました。指が皮膚に食い込んで血が流れる程…意識のないまま、あいつを組み敷いて心も体も傷つけてた…それでも、あいつ、笑顔で…手を伸ばしてくれた…俺が傷つけたのに、あいつは俺の心ごと包もうとしてくれた。……抱きました、カムイを。後にも先にも、その夜だけです。」
ヒナタは俯いて拳を握り震えながら話し決心したように顔を上げる。
「俺はカムイに助けられた。一度死んだも同然のこの命は主とカムイの為に使います。あの夜、カムイと血の盟約を交わしました。今はタクミ様もあの方も俺の主です。が、タクミ様を1度でも裏切った事に関しては何も異存はありません。お気の向くまま、切り捨てて頂いて結構です。罪は全て俺が追います。カムイとオボロ、腹の子の事、温情を持って接してくださいますようよろしくお願い致します。」
胡坐をかいて座り腰の守り刀を抜いて目の前に置き首を垂れる。
その守り刀にタクミは見覚えがあった。
「それは…」
「紫(し)。斬るならこの刀で。」
カムイがいつも腰に指している守り刀は、ヒナタのそれと酷似していた。
周りと組紐の色、銀の竜の装飾もどう見てもこの刀と対になっているものだ。
「カムイの…」
「…紅(べに)。誓いの証としてお渡ししたものです。タクミ様、強く、なって下さい。俺が言う権利はないですが、カムイの為にも。」
「風神弓…」
タクミは静かに神器を呼び藍玉の弦を引き絞る。
心がどんどん黒く塗りつぶされ憎しみに支配される。
どこか遠くで止める声がするがそれもどんどん遠くなっていく。
真っ直ぐタクミに向いたヒナタの顔が藍玉に光るがヒナタは目線も逸らさず表情も崩さない。
「何故、儀式の事を知ってる?」
「俺はその時離れの警護でした。その時の侍従が話していたのがたまたま聞こえたんです。いつの間にか人が入れ替わっていたと。本来の担当の女官が来た時にはすでに儀式が始まっていたそうです。こんな事がばれれば王族の権威に関わる。結局もみ消された様ですね。部屋から出てくるオボロも…見たんです。全て偶然が重なった事です。無理矢理ではなかったのかと聞きましたが、オボロは悔いはないと笑ってました。」
「カムイの事は。」
「先ほど言ったのは全て本心で現実です。俺の気持ちと誓いはこの命尽きるまで破れません。もしも命が繋がればお二人のお側に仕えて生涯お守りします。」
「繋がると思うか。」
藍玉の光が一層強くなりヒナタの顔を照らす。
ヒナタは守り刀を引き抜き最後に備えて持ちかえ構える。
引き絞った矢は迷いなくタクミの指から放たれるが竜巻の様な風と水の粒が風神弓とヒナタの間に現れ細い体を射抜いた。
白い肌と打ちかけただけの夜着が見る見る血に染まり藍玉の矢はその体に刺さったまま震える様に強い光を放っている。
ヒナタは目を見開いて目の前に現れたその顔を見ると開かれた紅い目は光を失いゆっくりと閉じながらヒナタへと倒れ込んでくるのを刀を落として抱きとめた。
ヒナタの手がその血でジワジワと染まり始めまだ暖かい体を抱き名を呼ぶがカムイの反応はない。
「カムイっ!?…っ…!!!!」
カムイの体を抱いて立ち上がろうとした時、カムイの手が体に刺さった風神弓の矢を掴みチリチリという音と共にその矢を消していき静かな道場に低い声が響く。
『下がれ。』
カムイがタクミに向かって口を開き空気の波動の様なものを浴びせる。
風神弓が風でタクミを守ろうと壁を作るが簡単に弾かれその姿を消す。
受けきれなかった波動はタクミに直撃しタクミは後ろの壁に叩きつけられた。
「っっ!!!」
「タクミ様!!!」
カムイの体を抱いたまま足元の守り刀を拾いタクミの元へ走ろうとすると、抱いたカムイからくっくっと低い笑い声が響きその体は宙に浮く。
『ほんにこの娘は人の気が強くてな。なかなかこうして表に出してもらえぬ。やっと出られたわ。感謝するぞ、黒き神器の使い手よ。』
藍玉の矢に射抜かれた個所は泡を出しながら徐々に塞がっていっている。
『あの神器の使い手は代々特殊な体質が多い。壊すも、創るもその者の技量次第よ。だがいかんせん今代の使い手は不安定な様。それでこの時代にこの娘が出たか。なるほどなぁ。』
着物の袖口を口に当てくっくっと笑いながら何かを納得するように独り言を言っている。
「おめぇ、カムイか、それとも他の誰かか。」
ヒナタはやっくり歩いてタクミを背にして仁王立ちになりながら睨みつける。
『カムイ、というのかこの娘の名は。『神威』のう…ある意味合うておるわ。はははっ。』
「答えろ。」
『歯車に巻き込まれ部品の1つとなった者が、わたしにその様な口を聞いて無事にあれると思うのか? のう…』
殺気を感じ瞬間反応して守り刀で攻撃を弾くと道場の矢道の所に静かに立つスズカゼが目に入る。
いつもと違う彼の様子に驚いていると後ろのタクミが呟く。
「スズカゼ、目が…」
スズカゼの目はいつもの静かな目ではなく黒く覆われ目玉は赤く光り、その体は風になびく木の葉の様にフラフラと揺れていた。
正気ではないというよりも傀儡の様な感じに見える。
「スズカゼに何をした?」
『何もしてはおらん。 ただの忠実な臣。こやつはこの娘にのみ忠誠を誓っておるでな。操りやすいだけよ。』
「…臣なら、俺はどうしてこうならない?」
『お前は不本意ながら部品になってしもうた…血を口にし交わったであろう。それに弱いとはいえ人の世の王族との繋がりもある。腐っても同じ神代の竜の血。この娘のものだけなら良かったに操りにくくて叶わん。』
「俺は俺だ。だからてめぇは誰なんだ。答えろ。」
『ふふ…まあこんなのも居るのが人の世か。楽しや。私はこの娘。神威とでも名乗っておこうか。人の身の巫女血筋の母の腹から産まれた、神代の竜ハイドラの娘。』
タクミが立ち上がり風神弓を呼ぼうとするがスズカゼが後ろから首を取り締めあげる。
『御動き、に、なりません、様。首、折る…』
「っあ…カム…」
その声はスズカゼのものだがくぐもった様な声だ。
ヒナタはその様子を目だけで見てタクミに声をかける。
「タクミ様、今はとにかく動かないでください。スズカゼ、タクミ様をお離ししろ。」
同じカムイの臣の言葉にスズカゼは目を神威に移すが神威が顎を上げて離す様に促すと素直に離し、その傍に監視するように立つ。
『動じんか…よい臣じゃ。操りにくいのが難点だが。』
「カムイが苦しんだ時、黒い感情に飲み込まれると言っていた。ありゃてめぇか。」
『あんな時でないとわたしは出られないでな。』
「カムイはどこにいる。」
『ここ。今ここに居るのがカムイであり、神威。わたしは闇。全てを憎み壊すもの。カムイの中の禍。そしてその鎖を切ったのはそこな神器の使い手。』
「あんたが闇なら、カムイは何だ。」
『カムイは人間の母のあの血が強い。わたしとは逆のもの。光を背負い全てを照らすもの。導き守り創るもの。』
「俺とタクミ様が愛したカムイはそっちだ。すぐに返せ。」
『嫌。望んで鎖を切ったのだろう、黒き使い手よ?』
神威はヒナタの後ろのタクミを覗き見る様にする。
目が合ったタクミは息を飲んだ。
黒い感情に引きずられたのは間違いない。
『さあ黒き使い手よ、何を望む?破壊か、侵略か、略奪か? 姦淫でも良い。私は禍。なんでも言うてくれ。望むものは何でも出すぞ。』
浮いていた体は消え、タクミの側に姿を現しその顔を撫で上げてその顎に口づける。
くっくっと笑いながら体を寄せていく。
一部血で染まった白い夜着は肩まではだけ帯も締めていない。
その白い肌には昨晩の情事が解る跡がまだあちこちに散らばっていた。
タクミは体を動かす事も出来ずただ神威の顔を見ていた。
『どうした。昨晩あれだけ組み敷いておきながら腰が引けたか? わたしの目をごらん? ほーら…』
神威は両手で顔を包みタクミと目を合わせようとする。
タクミは目を固く閉じて歯を食いしばり自分の中の黒い感情と必死で戦っていた。
臣下との事も愛しいカムイとの事も自分が変わらなくては何も進まないのは自覚がある。
だからこそカムイを心から愛して少しづつ変わろうと思いを伝えた日に誓った。
皆過去を吹っ切って前に向いて歩いているのに、いまだに自分はそれが出来ていない。
カムイも臣下の2人も自分の苦悩を乗り越えて背中を押してくれているのに自分はまたそれを払ってしまうのか。
「カムイ。おめぇ何やってんだ。早く目ぇ覚まして顔見せろ。」
タクミが目を開き視線を向けると、ヒナタが背を向けたまま神威に声をかけていた。
「そこにいるんだろ? どーせ朝飯も食わずにぐーたら寝てんだろが。ったく服も着ねぇで目に毒だぜ。」
「ヒナタ?」
「カムイに声をかけてやってください。カムイ。起きろーっ。たまには朝飯食いに食堂行こうぜ。兵達も皆またおめぇと賑やかに食事してえって言ってた。やっぱりおめぇはわいわい楽しく笑いながら飯食ってる方が断然いい。また、おかず賭けて勝負しようぜ。今度はタクミ様も一緒にな。きっと楽しいぞ。おーい、早く目ぇ覚ましていつもみてぇに名前呼んでくれよー。めっちゃ寂しいぜー。寂しくてヒナタさん泣くぞーっ。」
神威はその姿に呆然としている。
タクミもその顔を両手で包んで額を合わせ目を閉じる。
「カムイ、ここに、いるの?」
『離せ!』
「おーっと、スズカゼ今からいいところだ。野暮すんなよ。カームーイさーん。マジでヒナタさん泣きますよー。」
神威を庇いに入ろうとしたスズカゼをヒナタが制止する。
「離さない。愛してる。ヒナタに負けられない。今から絶対に追い越すから。」
『何言って…馬鹿どもが!』
「起きてカムイ。ねぇ、起きてあの僕の好きな布団で微睡んでる姿見せてよ。お菓子や食事を食べてる時のあの顔も大好きなんだ。食堂でカムイに絡んだ時があったけど、あれもとっても楽しそうで本当は仲間に入りたかったんだ。だから今度は僕も一緒に連れて行ってほしい。ヒナタとおかずの賭けっこしてたのもいいなって思ってた。僕も仲間に入れて。まだ沢山カムイと一緒にしたい事があるんだ。今日は今から何をしようか。仕事を早く終わらせて市場にでも行こう。ヒノカ姉さんから美味しいってお薦めされたお菓子屋さんに行こうか。ヒナタも一緒に。」
「いいですね。な、スズカゼも来るか?」
そういうとスズカゼの腹に一発拳を打ち込み気を失わせた。
『貴様…!!』
「すまねぇな。忍なんていたら後が厄介だ。スズカゼにゃ悪ぃがちとお休みしてもらった。同じ臣下で助かったぜ。な、カムイ。」
そう言い顔を寄せた所には背中からヒナタの首に腕を回しておぶさる様にしたカムイの姿が薄く見えた。
タクミもふと気づくと自分の右腕の所に腕が絡まっているのを感じ視線を移すとにっこり笑うカムイの姿が見える。
「カムイ…」
タクミが微笑み返すとカムイは神威へ向かい手のひらを出し波動を発しその体を飛ばす。
先ほどタクミがやられたのと同じ様なものだ。
『人の体を勝手に。タクミとヒナタ、スズカゼさんにまで…』
『お前と私は一心同体。私が死ねばお前も死ぬぞ。』
『殺すなんて言ってない。だけど出てこないで。』
『お前でも死ぬのは怖いか。』
『怖くない。一度、私はヒナタと一緒に死んだから。』
「あ…」
タクミはその言葉に悲しそうな顔をするが、カムイはタクミの手の上に自分の手を乗せて振り向いて微笑みかけた。
『でもヒナタは私を蘇らせてくれた。道を諦めた私にもう一度、あなたの側に行って今度こそ手を離すなって。』
話している間に神威が波動を打ってくるがカムイは片手でそれを消し去る。
『だから、あれから何を言われても、冷たくあしらわれても、嫌がられても、あなたから離れなかったの。一時、怖い時期はあったけど、ね。』
「カムイ、どうする。」
『ここからは私の戦い。あなた達の前で、みっともねぇ姿は見せられねぇ…でしょ?』
「はっ、おう。」
「気をつけて。」
「はい。」
ヒナタの肩とタクミの側に居たカムイが一つに重なり形を成す。
夜刀神を呼ぶと相手の手にも同じ夜刀神が姿を現した。
「鏡…?」
「うつし身、みたいですね。」
目の前の二人のカムイが走り出し思い切り剣同士をぶつけると接触音が静かな弓道場に響く。
しばらくの間、暗夜式の剣術で打ち合いが続く。
カムイの体よりほんの少し小さいだけの夜刀神を軽々と使いこなし回転させる剣術はやはりその神器に選ばれたものだからだろうか。
あの暗夜の長兄マークス直々に鍛えられただけはある。
小さい体をうまく使いすいすいと動き剣を振るう。
あのマークスも身の丈もある神器ジークフリードを振るうが形が良く似ていた。
タクミは改めて初めて見るカムイの剣術に驚きと共に目を奪われていた。
「…凄い…」
「いい筋してます。まだ見物はこれからですけどね。」
「え?」
「初めて見ると思いますよ、タクミ様は。」
ヒナタがそういうとカムイの動きが変わっていく。
一旦神威の剣を受け止め夜刀神を滑らす様にして身を翻し切りかかる。
足の動きも、集中して見開いていた紅い目も静かになり弓道場の空気に同化するように気配を消していく。
目の前の神威もそれには驚き一時様子を見る為攻撃の手を止めた。
『何…?』
「あれはこちらの。」
「はい。僭越ながら俺が教えました。」
神威はまた連撃を繰り返すがカムイはそれに静かに応戦する。
無駄な動きは一切なくその剣を受け止めていく。
とそこで剣を持ち替え剣を振り上げた神威の下から鋭く突きを繰り出すと神威の腕にヒットしその傷口からは黒い煙の様なものが流れ出る。
斬ったカムイの腕も同じ場所から血が噴き出し流れていた。
「何っ?」
「夜刀神じゃ、駄目なのか…?」
「そんな…じゃあ…」
カムイも痛みに顔を歪めるがすぐに体制を整え直しはぁと短く息をつく。
『私を殺せば、お前も死ぬと言うた…』
「みたいね。んー…困ったなぁ。」
その時静かな空間から湧き上がる様に歌声が響く。
それは煙の様にふわりふわりと神威に舞い寄り包み込んでいった。
神威はそれを払おうと動くが纏わりついて離れない。
「…アクア?」
カムイが道場の入り口に目をやると、聖なる槍とカムイの守り刀を持ったアクアがゆっくりと歌いながら歩いて来てカムイに刀を投げ渡し唄を続けながらカムイに目で伝える。
それを使え と。
「…そーか…こんな時に役に立つとはね…」
ヒナタが小さく呟くと刀を見ていたカムイが頷き抜き構える。
アクアがゆっくりと歌を止めると神威が直ぐにカムイに向かって飛び寄ってくるのを夜刀神で受けその腹に守り刀を打ち込んだ。
「タクミ、止めを。」
様子をぼうっと見ていたタクミはアクアの声で風神弓を呼び出して矢を神威の頭に打ち込むと神威の姿は黒いもやとなり姿を消していく。
もやからは刀が落ちる。
「ごめんね…でも一緒にいるから…」
カムイがもやを消えるまで見送っているとアクアが側に寄ってきて聖なる槍で頭を叩かれた。
「いたっ!」
「着物を着なさい。それ、隠して。」
ハタと気が付くと自分が夜着を打ちかけただけの状態だと気付き慌てて隠すと、タクミとヒナタをじろりと見やる。
「…みた?」
タクミは頬を染めて苦笑いし、ヒナタはいつもの笑顔で立っていた。
足元にはスズカゼがまだ気を失って倒れている。
「何でここが? それにこの刀…」
「あなたの事は解るのよ。刀も呼ばれたから取りに行っただけ。竜石はどうしたの。」
「あ、昨晩外して…寝所に。」
「…外した?」
カムイの言葉をそこまで聞くとアクアはギロリとタクミを睨み恐ろしい形相でゆっくりと近づいていく。
「タクミ、王族でしかも妻となるカムイの状況はあなたが一番良く分かっている筈なんじゃないかしら? それでなくても力が弱っている竜石を外した? 情事に邪魔だったとは言わせないわよ!!!」
聖なる槍の石突を床に叩きつけてアクアは髪をザワザワと怒りで揺らしながら吠え、タクミは後ずさりしながら思い切り頭を下げて謝った。
「ごっ、ごめんっ!!!」
「ごめん? このヒナタですらそれをしなかったのに…」
「えっ!?」
「何?」
いきなりの発言にヒナタは驚いてアクアに聞き返してしまった。
アクアは涼しい顔で答える。
「カムイの様子が違う位すぐに解るわ。相手が誰かもすぐに予想がついた。竜石を外さない様にしたのはあなたにしてはいい判断だったわね。」
「え…何で? どうとれば…?」
「一、応、褒めたの。」
「アクア様、軍師におなりになれますよ…」
「あら、ありがとう。さてタクミ。大切なカムイをこんな危険な目に合わせて…今後二度とこうならない様に、あなたにはもう一度教育をし直さなくてはならないわね。来なさい!」
タクミは抵抗しようとするがアクアを舐めてはいけない。
槍聖も舌を巻く軍最強のランサーである歌姫のアクアにタクミが敵うわけもなく流石のヒナタも手をだせない。
「ちょっと!! アクア姉さん、離し…ヒナタっ!!!」
「あー…すんません。流石にアクア様相手に無理っす。」
「うわぁあ!!」
「カムイ様とスズカゼは任せてくださいー。」
「…タクミ、大丈夫かな?」
「…一応ご姉弟だから殺さりゃしねぇとは思うけどな…兎に角早く竜石を。」
タクミはアクアに引っ張って連れていかれてしまった。
残されたヒナタはスズカゼを介抱してカムイをタクミの居室まで送って行った。
「あの守り刀。何かしてあるの?」
「ありゃ破魔の装飾と呪いがかけてあんだ。」
室内でカムイが着替えている間、ヒナタは縁側に座り背を向けて話している。
「刀身に呪い。表の装飾が銀。組紐にも銀を使った糸が組み込んである。おめぇの方だけな。」
「そ、そんなに凄いものが…? 私腰にさして歩いてたよ?」
「昔から銀っては破魔の力が強いっていうからよ。守り刀ってのはそんなもん。それでいーんだよ。大事なおめぇを守るもんだ。その位はな。」
「ありがとう。本当に助かったよ。」
「んー。竜石と同じで外さず持っててくれ。あと……タクミ様に、話した…」
「…え?」
「咎を受けた事、おめぇとの事。臣下になった事、今後の事…」
「タクミは…?」
「まだ何とも言えねぇ。だけど俺は悔いはねぇよ。」
「駄目! 赤ちゃんが居るのに!!」
カムイは慌てて障子を開けて出てくるが帯が上手く結べないらしくまだ着物は腰ひもで止まったのみだ。
「…おめぇ…人妻になんだから、ちゃんとしろよ…」
「そんな事より!!」
「そんな事よりじゃねぇ。俺ぁとりあえずその目に毒な状況をどうにかしてほしいわ。」
「タクミには私が話する。オボロさんと折角家族になるのに、そんな事駄目!」
「咎受けた時点でそうなる事は覚悟してた。似たもの同士だっつったろ?」
カムイは唇を噛んでそのままタクミの所へ行こうとするのをヒナタが慌てて止める。
「まてまてまてまて、いーから。」
「良くないっ! 私だってヒナタとオボロさんの子が生まれるの楽しみにしてるんだから!!! 幸せそうなのにそれを壊すなんて駄目!」
「あんがとな…」
「しんみりするなっ!!」
「壊さないよ…」
カムイが涙目でヒナタに噛み付いていると声がかかる。
見るとアクアに何をやられたのか髪がぼさぼさに乱れてしまったタクミが立っていた。
「これ、アクア姉さんから…」
タクミが差し出したのは竜石。
新しく作ったものと変えろという事だった。
カムイが受け取り手に持つとその石に吸い込まれる感覚があり少しふらついて横のヒナタにぶつかる。
「お…大丈夫か?」
「な、凄い、これ…」
「アクア姉さんが呪い師達と改良したそうだよ。今のよりは強力になってるから最初は疲れるかもって。」
「そう。後でお礼言わなきゃ。タクミ、話があるの。あのね…」
「ヒナタ。」
「はい。」
カムイが話そうとした所でタクミは先にヒナタに声をかける。
ヒナタはその場に座り首を垂れる。
「お前の思いもオボロの思いも伝わった。カムイの事も…今回の事も全面的に僕が悪い。今更だけど、僕を許してくれないか。」
「あのっ、ヒナタの事は私が…!」
「カムイも、ごめん。前を向く、強くなるって言ったのにまた同じ事をしてしまった。もう一度だけ、チャンスが欲しい。都合のいい話だっていうのは解ってる。だけど、頼む…2人とも。」
タクミはその場で2人に頭を下げる。
「ヒナタを斬るより先に、僕がヒナタに斬られなくちゃならないね。約束を違えるところだった。」
そういうとタクミはヒナタの前に座り同じように首を垂れた。
「や、やめてください。俺らなんかに…」
「小さい頃から、本当に、ごめん…ありがとう。ヒナタ、今後とも僕とカムイに仕えてくれるかな。」
「…タクミ様とカムイ様のお許しが得られるなら命を賭して。」
「だから賭しちゃダメっ!!!」
互いに頭を垂れた所でカムイが2人の頭を抱える。
「…おい…」
「水差してごめん! でも命は賭けないで。先に家族の事を考えて。タクミ、ごめんね。でも、ありがとう。」
「僕が、謝らなくちゃならない。ごめんね、カムイ。」
「お二人とも改めて、よろしくお願いします。」
「うん。こちらこそ。ヒナタには側近として今後は側に居て貰いたい。」
「はい。喜んで。」
「よろしくね。タクミ、ヒナタ!」