「何ですか、これ?」
「お見合いの日にあなたの着るドレス。とりあえずいくらか揃えさせたから見繕って。あなたは華美じゃない方がいいでしょうからシンプルなものを揃えたわ。」
「ドレスって…普段着で十分ですよ。」
「あなたは女王でしょう。とりあえず最低限のものは着ないと。」
「相手は貴族とはいえ普通の方でしょう? なら普段着で十分ですよ。無駄なものはカットカット。」
「もう…あのね、カムイ…」
「お見合い用のドレスを選んでるわ。」
「はは、カムイらしいな。普段着でいいなんて。」
「笑い事じゃねぇよ! 何か知らんが順調に準備が進んでるじゃねえか!!」
カムイ達のいる広間の外、廊下の隅っこ、大きな花瓶が置いてある棚の後ろに隠れる様にしてコソコソやっているのはルーナ、サイラス、ジョーカーの3人。
離れた場所でも監視出来る様にとオーディンに無理やり頼んで小型のマジックビジョンを作ってもらったのだ。
だがオーディンはレオンの様な巨大な魔力は持ち合わせて居らず このビジョンを作るのに時間と魔力を要した。
現在彼は風邪という名目で数日寝込んでいるが、それは実は魔力の使い過ぎによる疲労だ。
アクアは魔力に関しては知識が薄い為何とか誤魔化せている。
「オーディン、大丈夫かな?」
「あいつは体力あるから寝てれば治るわよ。それにしてもスズカゼ、あれから姿を見せないけど何か進展あったのかしらね。」
「朝早くに忍軍が数人で動いていたのは見たが…それ以上はわからねぇな。それよりどうすんだよ。このままじゃ本当に見合いしちまうじゃねぇか!!」
「もー、ジョーカーうるさい。」
だが実際、女王の決定に自分達が口を挟む事も出来ず アクアの正論も理解出来る。
国としてたって存続を望む民なら誰でもすぐに王の後継者を望む筈だ。
自分達もきっと何も考えなければそう願っただろう。
だが彼女は戦時中から皆の光だった。
光で太陽で道しるべで、そう、皆のアイドル的な絶対的な存在だったのだ。
その彼女が結婚だなんてとてもじゃないが熱狂的なファン達には耐えられない。
今はまだこの話は秘されたものである為 他の者は知らないが、公になろうものなら間違いなくその相手候補には殺害予告が届き、最悪 暗殺される可能性だってある。
それ程のカリスマである彼女の相手は(彼女本人が選んだ相手であれば認めざるを得ないかもしれないが)それだけ厳選されるものなのだ。
「ジョーカー?」
その時カチャリとドアが開きカムイが姿を現す。
「やば、カムイ様が…?」
「カムイ様。申し訳ございません。お茶の準備をして参りました。さ、どうぞ中へ。」
ルーナとサイラスが身を低くしてジョーカーの姿を確認しようとすると、すでに彼は何も無かった様にティーセットを載せたワゴンを引いてカムイの元ににこやかに歩いていた。
「あ、ジョーカー。ありがとう。」
「いえ。慣れない衣装合わせでお疲れでしょう。」
慣れた様子で部屋に入っていくジョーカーを唖然とルーナとサイラスが見送る。
「いつの間に…」
「あいつ実は忍の実力あるんじゃないか?」
「兎に角、カムイ様のお見合い、何としても止めるわよ。」
サイラスはルーナの様子を見て苦笑いしながら美しく飾ってある目の前の花瓶に目をやった。
「やっぱりこれキツイ…それに動きにくい…」
カムイは先日の衣装合わせで選んだ衣装を慣れる為にとアクアに着せられ廊下を歩いている。
軽くとはいえコルセットを締めた状態での執務は想像以上に体力を使うようだ。
まだ昼にもなっていないというのにカムイはすでに顎を出していた。
廊下で立ち止まりはあーーーーっと長いタメイキをつく。
「…お見合い、かぁ…」
静かなテラスに面した廊下で呟く。
この城では式典以外はカムイは1人で動く事が多い。
政務などの時はアクアが側にいるが、レオンを中心とした魔導士や呪い師達によって張られた結界に守られ、何より多少の事ではカムイは負けない。
大体人の身の時はもちろん竜化したカムイの強さを知っている者達はカムイを襲おうともしない為、城ではある程度は自由に動く事が出来るのだ。
今日はそのアクアも城での政務が山積みのカムイの代わりに視察に出ていた。
風に揺れる木々を見ながら腰を壁に預けて座り空を見上げると、透魔王国特有の浮島には農作業に精を出す民達が見える。
(カムイの視力は言わずもがなとても良い)
小さな子供たちも楽しそうに手伝いをし皆で笑いあっていた。
自分は今まで白夜王国と暗夜王国両軍を纏める将だった。
ハイドラの狂気を止める為、仲間たちと必死で戦ってきた。
その中で恋をし家族を持っていく仲間達が居る事はとても嬉しい事で心から祝福した。
が、自分は両国軍を纏める将。自分の事は二の次で戦って来た。
今は国の王として国と民を導いていかなくてはならない立場にある。
正直言うと恋や結婚などという気持ちを持つ余裕もないし、自分が誰かと結婚して子供を…など考えた事もなかったのだ。
着ているドレスを見ながらまた長いため息をつく。
「慣れませんか?」
顔を上げると目の前には少し心配そうなスズカゼが立っていた。
優しい表情に少しほっとしてふにゃりと笑うとスズカゼもふわりと笑い返してくれる。
「動きづらくて。」
ぽんっとお腹を叩いて見せると、コルセットがぴっちりと巻かれているため鼓の様な音が響いた。
「いつもはもっと楽なお姿ですからね。」
「ええもう脱ぎたくて、さっきもメイドにお願いしたんですがアクアの命令だから我慢してくださいって。裾も長いから歩きにくいったら……にょっ!!!」
カムイがぶつくさ言いながら勢いよく立ち上がるが、ドレスの裾を思い切り踏みつけバランスを崩してしまいそのまま後ろへ倒れテラスから庭へ落ちそうになった。
スズカゼがすぐに移動してカムイを支えてくれたが勢いでそのまま2人してゴロゴロと庭へ転がってしまった。
スズカゼが踏ん張って止めてため息をつく。
「…カムイ様。流石にそのお姿で激しく動かれては危ないです。お怪我でもなされたら…」
「ごめんなさい…っ、でもこれ楽しかったですね!! 草の上でゴロゴロ転がったのは久しぶりです! うふふふ、気持ち良い~♪」
カムイはドレスが汚れるのも構わず草の上でゴロゴロと転がり土や草の香りを楽しみ、次いでガバっと立ち上がり、ドレスを捲りペチコートをベリッと脱ぎ捨て、長いドレスをまくり上げて走り出して城内の目立たない場所にある小さな花畑に座り込んで香りを楽しんだり、寝転がって深呼吸したりする。
「あーもう、それにしてもこのドレス、長くって邪魔っ!! スズカゼ、持っておいてください。」
カムイは裾をめくって立ち上がりドレスの脇に差してあった護身用の短刀でドレスのすそを裂いて短くし、それをスズカゼにぽいっと投げて渡した。
受け取ったスズカゼは目を丸くするがすぐに小さくため息をついて苦笑いしながらカムイに声をかける。
「…アクア様に怒られても知りませんよ?」
「そのアクアも今はいないでしょー。それにこうしちゃった方がきっとアクアも諦めがつきます。」
「…カムイ様…」
「なんですかー? おっ、テントウムシ!!」
「本当によろしいのですか。」
「ごめんねー、驚かせて。おいで~。」
「こんな形での婚礼など…」
「私の事より国の事。良い方だったらいいですね。」
「…っ…私は納得できません!」
大声に驚いてカムイの手に乗っていたテントウムシが飛び去る。
急にしん、となった周りは風に揺れる草花の音しかしない。
カムイは飛び去るテントウムシを見ていたがその目を塞がれた。
「私の忠誠は貴女だけに誓いました。今後もお側でお守り致します。一介の臣である私がこんな事を言える立場ではない事も重々承知しております。貴女はこんな形でなど、一番嫌がる方ではありませんでしたか。私には無理をしている様に見えてなりません。」
スズカゼの大きな掌で目を塞がれ、背中から軽く抱き寄せられたカムイはそのまま身を預けている。
「貴女に思いを寄せた男性は戦時中から沢山おりました。ですがその言葉を、貴女は全て聞かないふりをされた。戦は終わったのです。今度こそ、想う相手と幸せになって頂きたいと、心から願っておりました。ですが…」
「…軍の将、今は国の王。状況は変わってませんから…」
「だからと言って会った事もない相手となど…」
「…ごめんなさい。」
「貴女が謝る事ではありません。」
スズカゼは顔をカムイの髪に埋める様にしながら言葉を絞り出す。
いつも穏やかなスズカゼがこんな風に声を荒げる事は今まで一度もなかった事だ。
カムイがスズカゼの手を取り振り返ると顔を歪めた彼の姿があった。
「スズカゼ。」
「…はい…」
「その気持ちだけで十分。」
「…っ……」
「大好きですよ、スズカゼ。貴方が私の臣で居てくれる事、誇りに思う。」
「…貴方の「好き」は、私の欲しい「好き」ではありません。その「好き」は皆さんに向けるそれと同じだ。」
「私は軍の将である時も、今も、私の側に集ってくれている皆を大切にしたい。それこそ伴侶の様に。辛い時も健やかなる時も、手を取り合っていける様に。」
「だから、1人のものではいられない…」
「うん。皆の事が大好き。」
「誤魔化しているだけです。あなたは、自分の気持ちを…」
「そうかもね。でもそうじゃない。」
「ならば、尚更。今回の縁談は…」
「私の夫になるという事は国の重責を担うという事。それを理解した上での話ならばお受けしてもいいかなと思ったんです。」
「……」
「スズカゼ、殺気は消して下さい。」
「今言った事と話が違うではありませんか。」
スズカゼの端正な顔が今度は仏頂面に変わる。
カムイは彼の顔を撫でながら続けた。
「違わない。もしもその方が夫となっても、私は皆と分け隔てなく接する。」
「…なんだか頭が混乱してきました。」
「スズカゼらしくないですね。大丈夫?」
「誰のせいですか。」
スズカゼは一度強くカムイを抱き締めて体を放し1歩下がった所で片膝をつく。
「お慕いしております。今も、変わらず。」
「ありがとう、スズカゼ。私も大好きです。」
「…困った方だ。仕方がないですね。」
「理解してくれて嬉しいです。」
「してません。ですが惚れた弱みです。」
そういうとスズカゼは一瞬で姿を消す。
その巻いた風の中からヒラリと小さな紙がカムイの目の前に落ちてきた。
それを取ってカムイは吹きだす。
「もーっ!! スズカゼーーーっ!!」
その紙には筆で「馬ー鹿」と書いてあった。
カムイの城には民から届けられた様々な食材等が毎日届けられる。
それも城でその日に食べられ使用される程度の量。
決して過度な備蓄をしないため、ほとんど毎日城には民からの配達が行われていた。
執事長であるジョーカーがそれも全て取り仕切り、この日も民から届けられた食材等の確認を行い最後の荷台のチェックをしていると荷台の上に何かが落ちてきた。
強い衝撃で馬も驚いてその場で暴れ、農夫が直ぐに馬を落ち着かせる様に抑えた。
落ちてきたのは太陽を浴びて光る銀髪のカムイだった。
「カ、カムイ様っ!?」
「ごめんなさいー!! 馬さん、ごめんねー!」
カムイは先程まで着ていたドレスを脱いで細身のパンツとシャツといういで立ちで、荷台から飛び下りて手を振りながらダッシュで消えていく。
「ちょっ、カムイ様っ!! その様な格好で、どちらへっ? 」
ジョーカーが慌てて追おうとすると白い影がひらりと空から下りてきた。
「ジョーカー、私が追うわ。」
ジョーカーの目の前には怒りで薄いブルーの長い髪をザワザワと逆立てたアクアが聖なる槍を手に仁王立ちになっていた。
流石のジョーカーもその覇気に圧されてその場に立ちすくむ。
「折角仕立てたドレスを2枚も無駄にするだなんて…許さないわ。待ちなさいっ、カムイ!!!!!」
アクアは猛然と走りカムイを追っていく。残された面々は立ち尽くしてそれを眺める。
しばらくして、遠くから猫の悲鳴のような声が聞こえた。