その日、負傷者や病人の治療で診療所に缶詰めになっていたサクラは、臣下のカザハナや手伝いに来てくれていたアクアに促され休みを取ることになり自室に向かっていた。
そういえば最近は早朝の舞の練習と行軍以外で外には出ていなかったように思う。
折角の二人のご好意ですから、今日はゆっくりさせていただきましょう。
そうは思ったものの自室に戻っても体を横にする気にもなれず、何をしようかと考え…
ならば先日カムイ姉さまとタクミ兄様と一緒に林に取り付けてきた巣箱の様子を見に行ってみようかしら。
思い立ち、簡単に準備をして一人林に向かった。
----------
今は春。
鳥たちも恋の季節。林の中は色んな鳥の鳴き声が響き賑やかな中、タクミが作った巣箱を先日林に取り付けに行ったのだ。
その巣箱の中にはカムイが作ったものもあったが形が歪なものだった。
「カムイ…どうやったらこんな形になるの。」
タクミが呆れ顔で言うと、カムイが真っ赤になって言い返す。
「だっ、だって、教えてほしいって頼んだのにちゃんと教えてくれなかったじゃないですかっ!! だから私、タクミさんのを見ながらっ…」
「だから『ちょっと待ってて』って言ったじゃないか。どうして1人でやろうとするかなぁ。」
「う…だって、タクミさんのお手伝いがしたかったんですもん…」
カムイは小さくなって項垂れる。
その頭を抱いてタクミが笑う。
「うん、ありがとう。気持ちはとっても嬉しいよ。あははは。な、サクラ。」
「はいっ。ね、姉さま大丈夫です。きっと鳥達も気に入ってくれます!」
「サクラさん…優しいですぅ。」
「サクラ、甘やかしは良くない。」
「兄様っ! そ、そんな事ないですっ。カムイ姉さまだって頑張って…」
「もぅっ、タクミさんたら!!」
「はは、悪い悪い。ごめんて。」
タクミは楽しそうに笑って、カムイの頭を抱いたままサクラの頭も撫でる。
あんなにいつも何かに耐え、何に対してもぶっきらぼうで、頑なにその心も表情も変えなかったタクミが、カムイと共に居る様になってから大きく変わった。
精霊の力を大きく使う 義母・ミコトからタクミが託された風神弓もタクミの様子が変わってからその力が大きく強くなった。
今のタクミとカムイの傍にはいつも精霊がまとわりついている。
王家の女性の特有体質である巫女の力を強く継いだサクラにはそれが良く見える。
神器というものはその持ち主の性質を濃く反映する。
兄・リョウマの雷神刀、タクミの風神弓、暗夜の王子・マークスのジークフリード、レオンのブリュンヒルデ、そしてカムイの夜刀神、それらはすべて持ち主の性質を糧に働くがそれだけではない。
その力を大きくするのは持ち主に力を貸す精霊なのだ。
その使い手が意図せずとも精霊を受け入れるかどうかも影響する。
タクミとカムイの笑いあっている姿。
まとわりついている精霊たちの楽しそうな様子。
それを見ているとサクラは心が温かくなるのを感じてとても幸せだと思った。
「あの、私、お二人の事が憧れなんです。」
そう言うサクラにタクミとカムイは目を丸くして彼女を見つめる。
「わ、私もいつかそんな方に…お会い出来ればと、思っ…い、いえっ、なんでもありませんっ!!」
サクラは顔を真っ赤にして激しく首を左右に振って立ち上がりその場から離れようとする。
「サクラさんっ、待って待ってっ。」
カムイに腕を捉まれ再度座らされると、ふわっと真珠色の髪が顔に当たった。
カムイはサクラを優しく抱きしめ、頭をなでながら耳元で囁く。
「大丈夫。サクラさんもいつか素敵な殿方とお会いできます。優しくて私の大好きなサクラさん、あなたにも私は幸せになって欲しい。」
「サクラは僕の自慢の妹だからね。きっといい相手がいるよ。その時が来るのを僕らは楽しみにしてるから。」
肩越しに見える優しい笑みを浮かべて見つめるタクミと抱きしめてくれているカムイの暖かさでサクラは自然に涙がこぼれているのを感じる。
カムイは黙ってそのまま頭を撫でてくれ気づけばタクミも傍に来て自分の肩に手を置いてくれていた。
サクラは子供の頃に戻った様に2人にすり寄って泣いた。
----------
思えばあの時は疲れていたのかもしれない。
続いた行軍で自軍にも怪我人が出て ほぼ不眠不休で診療所に詰めていたし、心にも余裕がなかったのかも。
周りはそれに気づいていて気を使ってくれたのかもしれない。
申し訳ない気持ちで一杯で自己管理ができていない自分の事を反省しながら目的の林に着いた。
どの辺りに取り付けただろうか、同じような木々が並ぶ林の中で上を見ながらゆっくり歩く。
早々に一つ見つけた。
あれはタクミが作ったものの様だ。
しばらく観察していると1羽の鳥が降りてきた。
と同時に箱の口の処から小さな顔が沢山出てくる。
ピィピィと泣きながら、親鳥に餌を強請る姿を見てサクラは思わず笑顔になる。
「わぁ…ちゃんと使ってくれてる。」
嬉しくて頬が紅潮する。
思わず飛び上がって喜びそうになったが、餌を与えているのを邪魔したくなくてじっと堪えた。
「へぇ、かわいいね。」
急に声がしてサクラは弾かれた様に飛びのく。
驚いて大きな声を出しそうになったが、とっさに口を自分で押さえた。
その音で驚いて親鳥は飛び去ってしまった。
「あ…」
サクラは悲しそうにそれを見る。
「ご、ごめん。」
申し訳なさそうに謝ってきたのは暗夜第二王子・レオンだった。
いつもは明るい黒に金の縁取りの鎧で全身を覆い紺色の法衣と呼ばれるものを付けているが、今は下の鎧と法衣だけつけて上半身は柔らかそうな生地のシャツのみという出で立ちで、見慣れない姿に一瞬誰だかわからなかった。
「れ、レオン、王子…」
「こんにちは、サクラ王女。申し訳ない、君も鳥も驚かせるつもりはなかったんだ。」
すっと自然に片手を出してサクラの手をとりお辞儀をする。
これは暗夜式の女性に対する挨拶らしい。
最初に挨拶された時も同じことをされたが、こういう事に慣れないサクラは固まる。
「…ああ…そうか、白夜ではこういう挨拶の仕方をしないんだったね。まだ慣れなくて…」
レオンは少し困った顔で小さく微笑みサクラから手を離す。
「す、すみません。私も、驚いたりして…」
「いや、僕も悪かったよ。女性に対して気配りが足りなかった。本当に申し訳ない。」
レオンはあくまで紳士的に対応する。
暗夜ではレディファーストと言ってとにかく女性をこうして大切にしてエスコートするのが通常だと暗夜第二王女・カミラが主催するお茶会で聞いた事がある。
白夜では男性が優先だという気質がまだ強かったりするのでサクラは驚いて聞いていた。
「ぶ、文化の違いですから、それは仕方がないです。わ、私も慣れる様に、頑張りますっ。ごめんなさい。」
サクラは勢いよく頭を下げてレオンに謝る。
それを見たレオンがふわ…と笑顔になる。
長いまつげに鳶色の瞳、艶の良い金髪で一瞬女性にも見えるその柔らかい顔で。
「ありがとう、サクラ王女。」
その笑顔を見てサクラは自分の胸が高鳴るのに気付く。
普段、緊張して顔をはっきりと見たことがなかったので慌てて俯いた。
「最近この林にああして鳥の小屋ができていたけど、サクラ王女が?」
レオンはその様子も気にせず話を続ける。
「い、いえ。あれはカムイ姉さまと、タクミ兄様が作って設置された、巣箱です。」
おずおずと上目遣いで話す。
「へぇ、暗夜ではああいう事はなかったから…そうか、いいもんだね。」
「そ…そちらではないのですか?」
「ないというか…鳥自体があまり居ないね。大体一日中暗いから。だからここにきて目新しいものが多くて、時々時間を見つけてはこうして探索してるんだ。」
「探索…ですか?」
「朝の光も、白夜調の建物や生活、生き物も全然違うから勉強も含めて。」
そういうレオンを見ると、いつも持っている神器・ブリュンヒルデとともにノートと鉛筆を持っていた。
すっとレオンはノートを開き、何やらメモをとっている。
ちらりと見えたが暗夜語でびっしりと小さくいろんな事が書かれていた。
「で、サクラ王女はこちらに巣箱の鳥を見に?」
ノートを閉じて持ち直したレオンがサクラに問う。
「は、はいっ。先日、設置したばかり、なので、ちゃんと、鳥が使ってくれているかと思って…」
「ふうん、巣箱がどこにあるかわかるかい?」
「同じ様な、木ばかり、なので…ゆっくり探そうかと、思って。」
「じゃあ巣箱がある場所へご案内しよう、僕もこの先に用事があるし。ご一緒しても?」
「えっ? あ、はっ、はい。」
「巣箱はここのを入れて12個。そのうち3個は巣箱なのかどうなのかわからない形だったけど…まずはこちらからかな。」
すっとサクラの体に触れないようにエスコートする。
サクラはその数がぴったり合っている事に驚き思わず聞き返す。
「あのっ、巣箱のある場所、お分かりに、なるのですか?」
「わかるよ。」
「す、凄いです。私は、先日タクミ兄様達と設置に来たのに…場所が、把握できていません…」
「伊達にブリュンヒルデの使い手ではないので、ね。木や森に関しては得意なんだ。」
口元に人差し指を軽くあてて、ウインクをしてニッと笑う。
その様子にサクラも気持ちがほぐれ少し顔をあげて笑顔を返すことが出来た。
2人で一つ一つ巣箱を回っていく。
巣箱には色んな鳥が巣を作っていて、レオンは見たことのない鳥の種類に目を輝かせ、サクラに種類を聞いてはノートに書き留めていた。
そのうち、レオンが言っていた「巣箱がどうかわからない形」の巣箱が設置された木の下にたどり着いた。
「ほら、あそこ。ね、巣箱かどうかわからない形でしょ?」
「ふふ…あれはカムイ姉さまがお作りになった巣箱です。ああ、でもちゃんと使ってくれる鳥が居るみたいですね。カムイ姉さまにお伝えしておかなくては…」
「カムイ姉さんがっ??……うん、納得。昔から手先は器用な方ではなかったんだよね、何やってもさ…しかしまさかここまでとは…姉さんこれは酷いよ。」
「タクミ兄様にもそう言われてカムイ姉さま怒っていらっしゃいました。」
「うーん、そりゃタクミ王子にも言われると思うよ。彼も苦労するなぁ。」
「いえ、そんな! カムイ姉さまはとても素敵な方です!」
「うん…本当に素敵なヒトだ、姉さんは。彼女は自慢の姉だからね。サクラ王女にもそう言ってもらえて嬉しいよ。」
『素敵なヒト』
レオンが紡いだその言葉に何故かサクラの胸がチクリと痛む。
何故かわからないサクラは首を振って話題を変える。
「あ、あの、あの巣箱の鳥は今まで居なかったものです。あれは…」
「本当だ。きれいな鳥だね。」
説明をしているとポツリとレオンがつぶやく。
「君の髪と同じ色…綺麗だ。」
「はい?」
何を言ったか聞き取れず思わず聞き返すが、レオンは「ふんふん…なるほど」と言いながらノートをとり続けている。
サクラは首をかしげながら説明に戻った。
サクラと巣箱を確認しながら林の中をしばらく移動して、レオンの目的地である林の中の龍脈までたどり着いた。
龍脈は薄い緑色の渦の様な気を常時発しているのだが、この林の龍脈はその気が薄く感じられる。
「着いた。すいません、サクラ王女、少しお付き合い願えるかな?」
「これは…?」
「気付いた? ここ最近、見えない敵に此処が襲撃されることがあっただろう? リリスの加護がありながらそんな事はまず考えられない。色々調べたらこの地の龍脈の力が弱まっていることに気づいたんだ。龍脈の気を元に戻すには一度充電する様に別の力で叩いてあげる必要があるみたいでね。定期的に龍脈を回って作業をしているんだ。」
「リリスさんの力が弱まっている、ということは?」
「いや、それはないね。リリスは透魔の力ではないか、と言ってる。」
「透魔…の?」
「星の龍の力を持つリリスに干渉できるとしたら、どう考えても古の龍、透魔のあの龍だ。僕もそう思う。」
その名前を透魔の世界以外で口にする事はできない。
一たびそれを口にすればその者は水の泡となり消えてしまう、そんな呪いがかけられているとカムイとアクアに聞いた。
だからその名前は皆の心の中だけに秘されている。
とはいえリリスが守護してくれているこの広大なキャッスルの龍脈は相当の数が有る筈だ。
今までそれを一つ一つレオン一人で回っていたのかとサクラは顔を青くする。
魔力は底なしではなく限界がある力だ。
大きな魔力を使えば心身ともに疲弊して体が蝕まれていく。
レオンが壊れていく姿をサクラは一瞬想像して体が震えた。
「れ、レオン王子! 今までお一人で龍脈の増幅をされていたのですか? そんな事をしたらあなたの体まで…」
「今のこの世界でそれが出来るのは僭越ながら僕だけらしい。リリスに頼まれたんだ、この地と皆を守るのを手伝ってほしいって。龍脈が弱まると言うことはこの土地全てに影響する。まずは生活を安心して出来る状態にしなくちゃ戦えない。」
レオンはノートと鉛筆をサクラに「持ってて」と渡して龍脈の上に立つ。
レオンの魔力に反応したのか龍脈の気の渦が揺らぐ。
心配そうに見ているサクラに顔を向けてレオンは軽く笑う。
「場所が遠い時にはキャッスル内でもリリスが転送してくれるんだ。だから魔力を使った後でも体にそんなに負担はないんだよ。転送に慣れてなくてちょっと船酔いしたみたいになるけどね。心配してくれてありがとう、サクラ王女。あと、このことは極秘でよろしく。」
そういうと何かをブツブツと唱え指を空に向かって伸ばす。
その指から光がまっすぐ天に届くまで伸びるとパキンという音と共に林を包み込む。
と同時にサクラは世界から遮断されたような感覚になった。
「大丈夫? ちょっと結界をはらせてもらったんだ。そこから動かないでね。」
そういうと魔導書を龍脈の気に充てる様にしながら両手で挟み込むように持ち集中を始める。
「は、はい…」
小さく答えたサクラの声が届いたのかレオンはにこりと笑い魔導書の向きを地面と平行にするとその手のひらから光があふれる。
すっと両手を魔導書から離すとそれは自然に開かれまるで意志をもっている様にページがバラバラとめくれ宙に浮く。
ウォン…という音と同時に魔法陣が幾重も現れ術者の体を包み込み、龍脈の波動が足元から上がりレオンの長いまつげや髪、紺色の法衣やゆったりしたシャツが魔法陣の動きと光に重なるように揺れる。
サクラは結界の中で、胸の前で両手を握り息を呑んでその様子を見ていた。
魔法陣の多さは魔力の象徴。自分も癒しの呪いを使うが、今までこんな大きくて幾重にもわたる魔法陣は見たことがない。
なんて大きな力だろう。
驚きと共に恐怖と憧れの気持ちまで湧いてくる。
ふ、とレオンは目を開き小さく微笑みながら誰かと会話をしている。
眩しい光の中を目を凝らしてみてみると彼に沢山の精霊がまとわりつき、どんどん魔導書の光の中に飛び込んでいく。
それは精霊が飛び込んで行く毎に大きな光となっていく。
顔に摺り寄ってくる精霊をレオンは優しく手で撫でる様にする。
目の前に飛んできた精霊に笑いかけ声をかける。
金髪に絡みつく精霊をそっと包み導く。
何て数の精霊だろう…
ここまでの精霊の数も見たことがない。
そうして大きくなった光を大切に包むようにすくい、両手に包んだそれをゆっくりと空へ掲げる。
「頼むよ、ブリュンヒルデ。」
レオンが小さくつぶやくとその光は一層光を増しパァッと四方に散った。
薄暗い林の中に太陽があるように周りの木々がはっきりと見え光に包まれていく。
木々はまるで心臓の鼓動を刻むように、水を飲んでいる様に、光りながら葉の一つ一つまでにその力をいき渡させる。
しばらくの間光っていた木々はすう…とゆっくり光を空へ放ち、その光は空でまとまりシャラシャラと音をさせて消えた。
消えていくその光から、精霊の笑い声が聞こえた。
楽しそうに嬉しそうに笑っている。
木々が喜んでいるのがわかる。
林の中が明るくなったように感じる。
鳥達も何もなかったように忙しく動いている。
龍脈はその渦をレオンの身長くらいの高さまで上げて勢いを増している。
目の前で起こった世界を見てサクラは茫然としていた。
「ふう…」
ため息が聞こえて不意にサクラが意識を戻すと、もう外界から遮断された結界はもう無いのを感じた。
レオンは龍脈の上に立ったまま魔導書をパタパタとはたいている。
白夜人とは違う白い肌に少し汗を滲ませ、金髪を掻き上げ笑顔でこちらを見つめてくる。
これがグラビティマスターと呼ばれ、その冷酷さ故に恐れられている彼なのか…
あの光に包まれた姿、波動で揺れる髪、精霊と会話するときの優しい顔、そして今自分に向けられている笑顔。
一瞬彼の背中に大きな羽が生えたように見えた。
なんて……なんて…美しいんだろう…
サクラの胸は早鐘の様に鳴り響いている。
息が、胸が苦しい。
何故かそれを悟られまいと必死で心の中で踏みとどまる。
「さ、行こうか。」
すっと自然に手を出され、サクラは半分上の空でその手に応える。
その様子をみて彼は微笑んでサクラの手を握り歩き出した。
----------
「大丈夫。サクラさんもいつか素敵な殿方とお会いできます。優しくて私の大好きなサクラさん、あなたにも私は幸せになって欲しい。」
「サクラは僕の自慢の妹だからね。きっといい相手がいるよ。その時が来るのを僕らは楽しみにしてるから。」
そういうカムイとタクミの声が、サクラの頭の中で何度も繰り返し響いていた。
----------
どの位歩いたろうか。
レオンの声にサクラは現実に返る。
「疲れてない? 確か巣箱はあと4つだよ。回るかい?」
「あ、はい。でもレオン王子の、お時間が…」
「いいんだよ。たまにはこういうのも。」
あんな大きな魔道を発動した後だから疲れている筈なのに、つきあわせてしまって申し訳ない…
そう思いながら俯くと自分はいつの間にかレオンと手を繋いでいた。
「あっ、あのっ、私っ…」
サクラはその手を放そうとしたが、レオンは握ったまま振り向いてサクラを見る。
目が合い困ってサクラは俯く。
「僕が、怖い?」
「い、いえ…」
「そう…なら、ゆっくりでいいから、僕の事知ってほしい。」
「え…?」
その言葉に顔をあげる。
「サクラ王女のペースでいい。ゆっくりでいい。」
サクラは意味が解らず目が泳ぐが、目の前のレオンは目線をそらさずゆっくりと話す。
「急がない。だから僕をみてほしい。」
「レオン、王子?」
「暗夜式の挨拶をしてもいいかな?」
不意に言われ思わず「はい」と答えると、レオンはにっこり笑ってサクラの肩に手を置き頬に口づけた。
「…あ…」
サクラの顔はみるみる赤くなる。
レオンも少し頬を赤らめて微笑む。
「親愛の証、なんだよ。これからよろしくね サクラ王女。さあ、続き行こうか。」
レオンはまたサクラの手を取り歩く。
「そうだ。今度巣箱を見に来る時には僕も誘ってよ。巣箱の位置は把握してるし、鳥の子が毛が生えるくらいにもう一度来ないかい?」
「えっ、あの。」
「約束だよ、サクラ王女。楽しみにしてるからね。」
「は、はい…」
サクラはこうしてレオンといれることが少しだけ嬉しいと思っていた。
----------
今日はそろそろ毛が生えそろったであろう小鳥の様子を見に行く約束をしているサクラは、早朝から診療所に向かっていた。
この日まで少し間があったが、その間も毎日レオンとは顔を合わせ会話をする様になっていて自分もだいぶん彼には慣れてきたと思う。
こんな自分に呆れるでもなく彼はこちらのペースを見守ってくれる。
人と接する時に感じていた息苦しさも彼といる時には感じなくなっていた。
『サクラ王女のペースでいいから…』
そう言って自分に併せてくれるレオンにサクラはただ感謝していた。
今まで自分の周りの男性といえば兄のリョウマ、タクミ、臣下のツバキ位だった。
特にタクミは何のかのと言いながらも傍でずっと守ってくれていた。
それはカムイと共に居る様になった今でも変わっていない。
もちろん診療所で男性に会う事話す事はあるが、それは患者としてであり仕事である以上その辺りは気にしないで来られた。
それが文化の違う国で色んな事が話せる男性の友達が出来た。
『始めての男性の友達』
なんだか心がこそばゆいが、今はそれも嬉しい。
「早く用事を済ませて、時間に遅れない様にしなくちゃ。」
サクラはいつの間にか小走りになっていた。
----------
「レオン様、どちらへ?」
自室から着替えを終えてリリスの神殿に出かけようとドアを開けたところでゼロに声をかけられた。
時間的にはまだ早朝。
起きている人間は世話係のメイド達位の筈だ。
「…どうした、何か用事か?」
「いえ、朝の弱いレオン様の部屋から何やらイヤラシイ気配がしたもので。」
「…朝からやめろ。僕は出掛ける。後を頼む。」
「レオン様。マークス様がご心配されていますよ。最近は何やらコソコソ動いていると…」
レオンは立ち止まりゼロを見る。
龍脈の再生作業はリリスから受けた事。
弱った龍脈の活性化に行くという作業は広大なキャッスル内では1人でやるには負担の大きい作業となる上、龍脈の力が弱まるという事を皆に告げれば無用な心配をかける。
軍を束ねる為に日々忙しくしているマークスやカムイ、リョウマ達にこれ以上の負担をかけたくない。
まだ自由に動ける自分が出向き作業を行った方が効率がよく、いざ戦闘となった時も自分が居ない穴は埋めれるくらいの戦力が今の軍にはある。
龍脈を活性化させる作業が出来るのに見合う魔力を持つのは今の軍ではニュクスや臣下のオーディン、その他の魔導士や呪い師と比べてもレオンのみだという。
それならやはり自分が動くしかない。
自分の大切な家族と…彼女を守るために。
「何が言いたい。僕が裏切り行為でもしてると?」
「いいええ、そんな事は。ただご心配なだけだと思いますがね。それはレオン様の方がお判りでしょう。」
暗夜のきょうだい達はきょうだいの絆をとても大切にする。
それは権力争いに小さい頃から巻き込まれ寂しく悲しい思いをしてきたから故の事だ。
兄や姉が惜しみない愛情を注いでくれたからこそ今自分はここに居る。
それ故に心配はかけたくない。
レオンは小さくため息をつく。
「心配しなくてもいいと伝えてくれ。愛しているとも、ね。」
「ふ…了~解。」
「物分かりが良くて助かる、ゼロ。」
ゼロは小さく笑いレオンに背を向けて2,3歩歩いたところで立ち止まる。
「あ。あんたの『花』もさっきに診療所に向かってたぜ。ま、頑張ってくださいな。」
手をヒラヒラと舞わせて立ち去っていく。
彼女の事は誰にも言った事がない筈…平静を装っているが少し赤くなっている顔を隠すようにしながらレオンは早足で神殿に向かった。
----------
待ち合わせ場所は林の入り口から入った一番最初の巣箱がある場所。
サクラがその木の下で待っていると急に風が吹き始め精霊が集まり始めた。
風と精霊は一緒になって人の大きさ位の緩やかな渦を作り散るように吹き消える。
驚いて顔を覆うが見知った気配に手を下ろす。
そこには金色の髪と法衣をなびかせ魔導書を持ち胸の大きく開いたゆったりしたシャツにパンツというラフな姿のレオンが立っていた。
「ひょっとして、待った?」
「いえ、あの…龍脈…に?」
「うん、今日は少し離れた場所へ。時間に間に合いそうに、なかったから、リリスに、此処に転送、してもらったんだ。」
星龍のリリスの力に守護されたこの世界は龍脈と呼ばれる自然の大きな力を利用して成り立っているが、それは盤石ではなく時々は別の魔力に触れさせ活性化をしなくてはならない。
ここは星界という場所で朝昼晩と普通に日々は過ごせるが現実世界と少し流れが違う。
そういう力も龍脈ありきなのだがリリスはここの守護で動けない。
だから大きな魔力を使うこの作業はリリス曰く人間の中でもずば抜けたそれを持つ「彼にしかできない」のだそうだ。
だが魔力を使うという事は心身ともにかなりの負担を伴う。
サクラはそれをとても心配していた。今も顔色があまり良くない。
「あの、お疲れではないのですか?」
「転送に、慣れないから、ちょっとね…」
フラつきながらその場に座り込むのを慌ててサクラは走り寄り支える。
グラグラしている頭を自分の肩に乗せる様にして安定させ、大きな装飾のついた法衣を素早く外して体の負担を軽くした。
「レオン王子、お水を飲めますか?」
「うん…」
レオンの頭を固定したまま茶碗に水を入れ少し斜め抱きにする様にして少量をゆっくりと飲んでもらう。
途中で嘔吐の様な気配があったが大丈夫そうだ。
「ひょっとして朝食を摂られていないのでは?」
「ん…」
腹に何も入れず大きな魔力を使い慣れない転送をされれば体も持たない。
レオンを寝かせようとしたら引っ張られる感覚がありサクラも一緒に倒れこむ。
いつの間にか自分の服を握られていた。
いきなりの事でサクラは慌てる。
「あ、あの…」
離れようと体を起こすとレオンは辛そうにしている。
さっきより顔色が悪い。
意識はある様なので小さく声をかける。
「濡れ布巾を作ります。少し待ってください。」
そう言うとゆっくりと手を放してくれた。
すぐにサクラは荷物の中から布巾を取り出し、水で濡らしてレオンの顔を拭いてから額に置く。
「ゆっくり呼吸を。吸って、吐いて…」
胸に手を置いて声をかけながら呼吸を促すようにする。
その手にレオンが自分の手を乗せてきたのでそれを包むように上からまた手を重ねてやり撫でてやるとサクラの声に合わせてゆっくり呼吸をし始めた。
体調が悪い時には心細くなる。
患者の中には大人でもこうした人もいるため対応には慣れている。
「大丈夫。傍にいますから、ゆっくり呼吸を続けてください。布巾を変えますね。」
手を放し頭の布巾をまた水で濡らして置き換える。
「気持ち、い…」
「このまま目を閉じてゆっくり呼吸しながら休んでください。すぐに良くなりますから。」
草むらは柔らかい草で覆われており座っていても気持ちが良い。
横のレオンを見ると寝息をたてはじめている。
くすりと笑って空を見ながらゆっくり深呼吸をする。
息苦しさがない。
とても楽に呼吸が出来る。
隣に人が、特に男性がいるというのにこんなに楽に呼吸が出来るなんて…
ここまで変われたのは本当に彼のお陰だ。
良い友達が出来た。
そう思う。
肌当たりの良い風に吹かれながらサクラはそのまま空を見上げていた。
----------
「ん…」
何かにくすぐられた様な感覚でレオンは目を覚ます。
ぼぅっとした頭で額に手をやるとまだ幾分か水分を含んだ濡れ布巾が置いてある。
体が暖かいのでチラと目線を下ろすと自分のものとは違う見慣れたマントがかけてあった。
白い布に赤い裏地の…これは……すうすうという寝息が聞こえる方向に目をやると自分の顔のすぐそばにサクラの顔があった。
くすぐられた感覚は風に吹かれたサクラの髪が当たっていたからだとわかった。
どの位眠っていたのだろう。
元々寝起きがあまり良くないせいもあり、まだ頭も体もけだるくそのままサクラの顔を眺める。
暗夜の人間とは違う肌の色は白に少し黄色が混じっていると聞くがサクラの肌はとても白くきめ細やかだ。
朱色の髪はサワサワと風に揺れる。
風に吹かれて顔の前にかかっている髪をそっとどけてみると目元は整ったまつ毛が並び、唇もきれいな色でふっくらとしている。
「サクラ…」
声に出さない程度に囁き名前を呼んでみる。
その名前を口にするだけで甘い感覚を覚える。
『レオン王子』
サクラに呼ばれると堪らなく嬉しい。
我ながら馬鹿馬鹿しいと思う。
安い恋愛小説の下りなんてあり得ないと思っていた。
でも実際その安い小説の内容に今の自分は陥っている。
エリーゼがきゃあきゃあ言いながら読んでいるベタな恋愛小説も意外に捨てたものではないのかもしれない。
こうして一緒に居られる事が嬉しい。
いつか本当に寄り添っていける様になれればいい。
すうすうと寝息を立てているサクラに顔を近づけ触れるか触れないか程度で額にキスをする。
「待つよ、いつまでも。君が僕の事をみてくれるまで…」
----------
「サークラ王女。」
名前を呼ばれて目を開けると頬杖をついたレオンが顔を覗き込んでいた。
一瞬レオンのそんな笑顔が見れた事が嬉しくて、にこ~っと笑顔で返したがレオンが頬を染めて笑った顔を見て覚醒して飛び起きる。
「す、すいませんっ!!」
「よく眠っていたね。おはよう。」
「あのっ、もうよろしいのですか?」
「ああ、もうすっかり。手際の良さは流石だね。ありがとう、助かったよ。」
サクラが回りを見ると水の筒や手拭いは既に荷物の中に返してあり自分のマントが体にかけられていた。
レオンは既に法衣をまとっている。
「手間を取らせてしまって申し訳ない。行こう。」
手を差し出すとサクラも素直にそれに応えて手を出す。
引っ張って立たせてやりマントをサクラにふわりとかけてやると耳元で呟いた。
「さっきの顔、可愛かった。」
途端にサクラは火が付いた様に顔を真っ赤にする。
「ひ、ひどいです! 起こしてくれないなんてっ!!」
「ははは、いい顔見れたし、いい事ありそうだ。」
「ややや、やめてくださぃぃいぃい!!!!」
荷物を持ってやりすっとサクラの手を引いて歩き始めるがサクラは驚きも嫌がりもしない。
それどころか空いた手で可愛くぽふぽふと背中を叩いてくる。
歩きながら振り向いて顔を見ると真っ赤な顔をして上目遣いに恥ずかしそうに自分を見つめて小さな声で拗ねたように言う。
「…キライです…」
「ふぅん、僕は逆。」
くすりと笑ってそのまま巣箱散策に向かった。