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早朝。
まだキャッスル内に朝もやが立ち込めている時間。
静かな中に掛け声と共に馬の走る音が響き渡る。

夜詰めが終わり自室に帰っていたヒナタが足を止めその音の方向を見ていると、もやの中から特徴的な銀色の髪と、その後ろから見慣れた真珠色の髪が見えた。

「負けちゃったぁ。今日は行けると思ったのになぁ。」


「ははは、スタートの時の一瞬の躊躇が影響したな。でも筋は悪くないよ。」


馬を止めて馬上で笑顔で笑いあっているのは暗夜の騎士サイラスとこのキャッスルの主カムイだ。
サイラスは暗夜では貴族階級の出身で王族の次に身分の高い黒銀の鎧を身に着けた男。

その人道的な振る舞いと気さくな性格で兵士達からも絶対の信用を得ており、現在は暗夜第一王子マークスの直属隊の一つを担っている。

暗夜ではカムイの幼馴染で親友らしく再開した当初からカムイには気を遣わず話していた。

当のカムイはそれを忘れており思い出すのに少しだけ時間を要したが、カムイを幼い頃から世話しているギュンターやジョーカー達から話を聞いてやっと思い出したらしい。

それを思い出した時には二人して抱き合って喜んでいた。

男女でありながら親友関係というのは自分も同じ臣下仲間であるオボロがそういう関係に近くはあるので理解できないでもないが、自分が思いを寄せているカムイと別の男が親友関係にあるという事はやはりあまり気持ちの良いものではない。

それでなくても自分にはライバルが多いのだ。

主であるタクミを始め、軍の独身の男たちが少なからずカムイに対してそういう感情を持っている事はわかる。

そういう魅力が彼女にはあるのだ。

これに関しても当の本人は全く気付いていないようだが…

「まず馬を落ち着かせてやること。騎乗している奴の心を馬は解ってるから自分が落ち着かなくちゃならない。それからスタートの時に集中出来る様に手綱を…」


馬を寄せてサイラスがカムイに色々と教えている。

元々素直なカムイは至近距離にいるサイラスを気にするでもなくそのまま聞いている。

それをみて少し胸がざわつき我慢できずに声をかけた。

「よ、おはよ。」


「お、ヒナタ。おはよう。」


「おはようございます。早いですね。」


「夜詰めだったのか?」


「おー、交代したとこ。おめぇらも早いじゃん。」


「馬達の朝は早いんだ。世話の指導ついでにカムイに乗馬を教えてた。」


カムイはヒナタを見てにっこりと微笑み「はい」と頷いた。

カムイの乗っている馬は華奢なカムイに似つかない位がっしりとした体つきの大きな黒馬だった。

「そいつ、おめぇの馬か? 何かマークス王子の馬に似てんな。ガタイが良いし、何となく雰囲気が…」


「そうなんです。兄の馬ときょうだいなんですって。よく判りましたね!」


「へえ、いい馬だ。よしよし。」


近寄って馬の顔を撫でてやると嬉しそうにヒナタに顔を寄せてくる。

サイラスはそれを見てヒナタに声をかけた。
 

「ヒナタ、馬を扱ったことあるのか?」


「白夜でも天馬以外の普通の馬はいんだぜ? それに俺も一応武家の出だから馬は扱える。」


「そうか! いや嬉しいな。軍には天馬ばかりだから寂しかったんだ。どんな馬がいるのか教えてくれないか? 暗夜ではどちらかというと黒毛や濃茶の毛色の馬が…」


馬から降りてあれこれ聞いてくるサイラスに驚くが、そんなヒナタに構わず色んな事を聞いてくる。

勢いにおされて話に付き合っていると側では馬を降りたカムイも楽しそうにその話を聞いていた。

チラリとカムイを見ると微笑み返してくれる。

なんだかほっとして肩の力が抜けた。

とはいえ、その日一日は何かすっきりせず自室に帰って床についたもののなかなか寝付くことが出来なかった。

午後からは軍の業務があったのだが殆ど眠る事が出来ないまま動く事になってしまった。

注意力も散漫になりオボロに何度も小突かれて怒られ、流石に主のタクミにも心配される位の体たらくとなった。



「毎朝、やってんのか?」


夜。
月明かりが光る中、カムイのツリーハウスの下で剣術の鍛錬中に水を飲みながらヒナタが聞くと、カムイは振っていた剣を下してヒナタに向き直り首に下げたタオルで汗を拭きながら首を傾げた。

「何をです?」


「乗馬。」


「毎朝ではないけど、まだあの馬には慣れていないから慣れるために出来るだけ乗ってるかな。」


「慣れてねぇ?」


「うん。私が昔乗っていた馬は、もう歳で暗夜から連れてこれないの。だから寂しいけど…」


「そーか。」


「本当は最後まで私が世話をしてあげたいんだけど今はこんな状況でしょう? だから仕方なく…兄さんが感覚を忘れない様にって新しい子を連れてきてくれたんです。」


「ふーん。」


ヒナタが渡した水を飲みながらカムイは寂しそうな顔で笑う。
暗夜第一王子マークスは血が繋がってはいないがカムイの兄。

カムイが幼い頃暗夜に拉致されてから実の妹の様に大切に育ててくれた一人だ。

暗夜のきょうだいは全員異母きょうだいで色んな厳しい環境の中でお互いを助け合って生きてきた。

その面々がカムイを守ってくれたからこそ、今こうしてカムイはここに居る事が出来ているが、何より長兄マークスはカムイに対しては人並みならない愛情というか執着のようなものを感じる時がある。

自分の愛馬のきょうだいをカムイに与えているという事すらその一つの様に感じられてならない。

だがマークスは白夜第一王女ヒノカと結婚をしており、その溺愛ぶりは軍の中でも知らない者が居ない位の事だからその心配は杞憂であろうが…朝から胸のモヤモヤが取れないヒナタは自分の隣に座り足をパタパタさせて俯いているカムイから目が離せなかった。

「ヒナタさん? どうしたの、何か変?」


「…変なのはおめぇじゃねぇ、俺だなー。」


カムイの腕を取って引き寄せ抱き締めるとカムイは真っ赤になって腕の中で体を固くする。

「俺がおめぇを好きなのは、もう知ってるだろ?」


「え、あ…はい…」


「どんだけ好きかも、知ってるよな?」


「……う、うん…」


「今、俺、滅っ茶苦茶むかっ腹たってんだけど分かるか?」


「え? い、いえ、その…」


腕の中で驚いた様に下からヒナタを見上げてくるカムイをじと目で見返すとカムイの頭の上に沢山のはてなマークが浮かんでいるのが何となく見えてヒナタはため息をついた。

「はあーーー…もう、だからおめぇはよぉ…もう少し自覚してくれよ。まじっでライバル多いんだからよぉ…」


「へ?」


「朝、サイラスと二人きりで楽しそうに乗馬してた。」


「うん。」


「やきもち妬きましたー。」


その言葉にカムイは一旦固まるがすぐに顔を真っ赤に染める。

「へ?」


「惚れた女が別の男と楽しそうに微笑みあってりゃ正常な男ならやきもち妬くっつーの。俺はこれでも辛抱強くおめぇの事待ってんだ。それなのにあんな煽る事をよ…」


「お、教えてもらってただけだよ!?」


「それはそれだろが! あんっな楽しそうに笑いやがって。」


「サイラスはそんな人じゃないよ! とてもいい人だから…」


「いい人だと思って一緒に居たけどそれがいきなり恋に変わるなんて事は俺で経験済みだろうが。それでもまだおめぇには自覚がないんか!?」


カムイを抱いたまま微動だにせずヒナタはじと目で見下ろしてくる。

ヒナタも我ながら少し恥ずかしい事を口走ってしまったがヒナタなりに必死なのはカムイにも伝わっている様だ。

どぎまぎしているカムイの顎を取り口づける。

好きだ。こんなにも。だから他なんか見ずに俺へ落ちてこい。

そんな思いを込めた口づけはカムイをすぐに蕩けさせる。

膝が震え力をなくして行くのをヒナタはゆっくり腕に力を入れながら支え抱き上げる様にして続ける。

絡める舌と唾液の音が静かな空間に響きカムイの体が小刻みに震え始めた所でゆっくり唇を離すと荒い息をさせて潤んだ瞳でヒナタを見てきた。

溜まらなく愛しくてカムイを抱きしめる。

「他の奴になんかやりたくねぇ…好きだ、カムイ…」


耳元で囁くとカムイは小さく鼻をすすり静かに泣き始めた。

カムイが自分の思いに葛藤している事は解っている。

実弟のタクミに恋したが血が繋がっている事。

そのタクミの冷たい態度に崩れそうになっている事。

その臣下であるヒナタにこうして愛された事。

自分の恋よりも軍の事、兵士や民の事を優先しようとしている事。

タクミへもヒナタへも恋慕は確かに存在している事。

色んな思いで葛藤するカムイに自分が無理をさせている事も解っている。

ヒナタもカムイにこんな思いをさせてでも手に入れたいと思うほどカムイに対して執着をしている。

こんなに一人の女性を好きになったのは今までで初めての事だった。

「こんな思いさせたい訳じゃねぇけど、好きなんだ。もう戻れねぇ…」


カムイの髪を撫でながら何度も耳や額、頭にキスを落とす。

カムイは俯いたままヒナタの腕の中でそのまま泣き続けた。



翌日、割り振りされた農作業をしていると隣の池にサイラス達の隊がやってきた。

サイラスは自分の隊と一緒に泥だらけになって楽しそうに魚を捕ったり池の掃除や整備をしたりしている。

貴族出身でありながら身分の事も気にせずこうして兵達に接するのがサイラスの良いところなのだろう。

ヒナタも隊を任されている以上そういう風に努めてはいるが改めて考え直させられた。

「あ。おーい!」


サイラスが手を振った先にはカムイと共にルーナが居た。

「お疲れ様です。」


「ああ。でも楽しいぞ、この作業。今日は魚も沢山とれたみたいだからみんなで焼いて食べようかって言ってた所だ。カムイ達もどうだ?」


「はあ? 仕事中なのに何やってんのよ。ちょっと、汚れてるのに近寄らないで!」


「解った、ごめんごめん。」


「もう…ま、まあ仕方がないから手伝ってあげてもいいわよ。こんな人数いるんだからあんた一人じゃ大変でしょ?」


サイラスが露骨に嫌がるルーナに触らない様に頬にキスをするとルーナは頬を染めてぶつぶつ言い始めた。

「ああ、助かる。カムイもどうだ?」


「うん。手伝いますよ。ルーナさん、一緒にさせていただいていいですか?」


「カムイ様、やり方わかるの? サイラスの親友だもの、特別に私が教えてあげてもいいわよ。」


「はい。教えてください。」


「しっかたないわねー。来なさい。」


ルーナに連れられてカムイは池の側の焚火に歩いて行った。

気づくとサイラスがこちらに走ってきている。

「ヒナタ。今日は魚が大漁でさ。お前たちも食べないか?」


「え? あ、おう。」


「よし。ならタクミ様達にも伝えてくれよな。ええと、何本いる? 1.2.3…」


「サイラス。ルーナと付き合ってたんか?」


「ああ、そうなんだ。結婚しようと思ってる。」


照れくさそうに笑うサイラスを見て予想と反していた事に安心して項垂れて屈みこむ。

「…はあ…そか、おめでとう。」


「どうした?」


「いや、なんでもねぇ。よかったな。幸せにな。」


「ああ。パーティーには呼ぶから、是非来てくれよな。じゃ後でな。」


サイラスが焚火の所へ戻っていくと屈みこんだヒナタの頭にぼすっと竹籠が落ちてきて目を向ける。

オボロが鬼の形相で立っていた。

「…あんた、なにさぼってんのよ、さっきから。」


「おー、わりー。すぐやんよ。サイラスが魚焼いて振舞ってくれるってよ。タクミ様にも伝えてくれや。」


「あら、そ。ちょうどおなか空いてたから嬉しいわ…もー。なーに安心しきった顔しちゃってんのよ。頭の中身漏れてるわよ、あんた。しゃんとしなさい。」


「へへ、わりーな。あー、いかんいかん。」


バシッと背中を叩いて「タクミ様~♡」と振り向き去って行くオボロを見ながら苦笑いして鼻を掻く。

ヒナタは籠を取って中断していた作業に戻った。
 

 


作業が終わり野菜を側の川で洗っているとカムイ達が焼きたての魚を持ってやってきた。

皆に1本づつ配って回りオボロにもタクミのものと2本渡してヒナタへ近寄ってくる。

「はい。焼きたてです。」


「おう、さんきゅ。」


手に持った魚の串をクルクル回しながらチラとカムイを見ると、カムイは嬉しそうに「いっただきまーす。」と魚にかじりついていた。

「その…わり…」


「ん?」


「早とちりで、やきもち妬いちまって…みっともねぇとこ見せました。すんません!」


頭を下げるとカムイはキョトンとして見ていたがくすりと笑う。

「お互いさま、ですよ。」


「へ?」


「だって、私も妬かない事は、ないから…ヒナタさんは女の子には優しいし、相棒のオボロさんとだって阿吽の呼吸というか…私にはできないことだし…というか私にそんな事思う資格なんてないわけで…ええと、その…」


魚をかじったままモゴモゴというカムイを見てヒナタは目を点にする。

「…みっともねぇとこ見せました。すんません…」


小さく頭を下げてきたカムイを勢いで抱き上げて空中に頬り投げる。

小さなカムイの体は簡単に宙に浮く。

「ふひゃあっ!?」


「~~~っ!! わっはは!!」


「ちょっ、わあっ、ヒナっ、きゃあぁ!!」


口に咥えた串はそのままにカムイは何度も空中に投げられて慌てるが、ヒナタは構わず続けていた。

周りの兵士達も最初は驚いていたが見ているうちに「わっしょーい。」と楽しそうに掛け声を上げ始め場は笑いに包まれた。



「いてて、ててっ、ごめんって。」


ヒナタがおぶったカムイに後ろ髪を引っ張られ苦笑いしながら歩いている。

いきなり放り投げられたカムイは足に力が入らなくなり立てなくなってしまった為、ヒナタにおぶられて執務室に戻っている途中で城の長い廊下を歩いていた。

「今からまだ書類のお仕事もあるのに…もうっ!!」


「まじで悪かったって~…」


「大体みなさんがいる前であんな事するっ!?」


「いてっ! おめ、髪抜けるっつーの!! ほい、着いた着いた。しっつれいしまーす。」


執務室に入り、取り合えずカムイをソファに寝かせるとカムイは腕を頭においてはぁとため息をつく。

「今日は俺がカムイ様のお側のお世話を仰せつかりましたので何なりとお申し付け下さい。」


流石にあの状況を見たタクミも慌て「今日はお前が責任もって側で姉さんの世話をしろ!」と怒られてしまったが、ヒナタにとってはそれがラッキーだとも言える。

タクミの政務の手伝いはしているし、各きょうだいに書類を持っていくため部屋には入ったことはあるが、カムイの執務室に入ることは基本的になかった。

他のきょうだい達の部屋に比べて本棚に並んだ本以外は意外に何もない事に驚きながらソファの下に座ってカムイの手を擦る。
 


「わりーな。でも、嬉しかったんだ。おめぇもそんな事思ってくれてたって事。」


「…知らない。」


拗ねた様に腕で顔を隠すカムイに、ヒナタは苦笑いしながらその腕に額を乗せる。

「だーいすきだ、カムイ。」


「…馬鹿。」


「へへ…茶、淹れてやるから落ち着いたら仕事しようぜ。な?」


腕にキスをすると間から目だけ見せてくるカムイの頭を撫でると、ため息をついて腕を外し少し意地悪そうに笑う。

「なら、今日はこき使います。戦術の宿題も手伝ってもらいますからそのつもりで。」


「おお怖…りょーかい。俺で出来る事ならなーんでも。それでやきもちの事も許してもらえるなら。」


静かな執務室に小さな笑い声が響いた。

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